「親不孝!誰のおかげで今まで生きてこれたと思ってるの!」

「親不孝!誰のおかげで今まで生きてこれたと思ってるの!」

何かにつけて「親不孝」とののしられの巻

「親不孝!誰のおかげで今まで生きてこれたと思ってるの!」

と母が絶叫するたび(感情失禁という症状

「私は親不孝」「私には値打ちがない」と思わされる。

四六時中「自分はダメ」という思考がぐるぐる回っているから、

まず自分を大切というアドバイスが空しいだけ。

でも退院後

『あなたの中のやんちゃな感情と付き合う法』という

金城幸政さんの本にであう。

むさぼるように読みふけった。

その結果、

 

金城さんの

 

 

「良かったねぇ、親はお手本じゃなくて、ただのサンプル」

 

 

今時「毒親育ち」ってフツーだし、生きてる人全員と気づいてね!

 

となると、

 

私は母から「ダメな娘」と言われると

「悲劇のヒロイン」をやりたいから

「思わされる」なんて受け身の言葉で思考しちゃうんだ!

 

 

感情を大事にして怒ればいいだけ!

 

自分を生きるのはシンプル

 

感情を隠して我慢してヘラヘラ顔で対応するって性格悪いよね!

 

と言われるとそうかも?

 

性格悪いから本当のこと言えないんじゃないの?

 

「私はそういうこと言われたくない、お母さん酷いね!って。」

言い返せなきゃダメなんだ。

だけど母は高齢で認知も特殊。

 

金城さんは(以下引用)

 

 

親切って「親を切るの!」

ここまでは許容範囲という見えない線を自分で引くの!

それができないあなたは「親切」ができないのは

ネガティブな感情と私の本質はイコールではない。

 

 

そうか、私は思わされるんじゃなくて「思わなくちゃ」

自分はむかつく感情を「持った」と確認すればいいんだ。

 

 

金城さんのお母さんもスゴイ「毒親」だったようで

しょっちゅう色々な話が出てきている。

お父さんも不機嫌な人だったらしい。

4人のお姉さんたちにいじられまくって成長したとある。

 

 

骨折して運転もできないし、本を読む時間だけはたっぷりあった。

 

 

私がしなくちゃいけないのは「悲劇のヒロイン病」からの卒業。

 

 

金城さんは(以下引用)

 

この世に鏡がないとしたら、自分を見ることは可能ですか?

不可能ですよね?

ということは、主体(本当のあなた)は、鏡なしで見ることはできません。

つまり、客体で見えているあなた(鏡を通して見えているあなた)は主体ではない。

客観的に見えているもの、目に見えているものは自分ではない。

自分を映した偽物です。

 

中略

 

自分に沸く自己嫌悪、罪悪感。

これらが「自分にはこういうところがある」と客観的に見えた時点で、

それは本当のあなた、あなたの本質とは別物になっているのです。

自己嫌悪があなたそのものでも負ければ、罪悪感があなたでもない。

 

 

ちょっと待って!

 

そうそう、そういうこと般若心経で言ってるよね。

 

 

実体はない。(自分で自分を見ることができないからなんだ!)

 

目からウロコ!

そして極めつけは私たちは神様の世界で退屈だから

ドロドロの感情劇場、ビックリの連続のハラハラドキドキを味わうために

地球に遊びに来てるだけ!

あなたが感じていることは「すべて自作自演のドラマ」です!

いやぁ、その考えを受け入れるとすべてが「万事塞翁が馬」なのよね。

それだったら苦しみ過ぎる必要はないのに

苦しみ過ぎて可哀そうなヒロイン病を今やってるだけ?なんだよね。

 

そうすると「母は毎日がジェットコースター」が好きなんだ!

勇敢だなぁ、揉め事好きで、なおかついつでも主役!

場数踏んでるからかないっこない。

しかし、オーディエンスとして私は違う端役になれる。

「鈍感で気が利かないムスメ」

「仕事が忙しくて親孝行する時間のないムスメ」

「今日はステキな朗らかなムスメ」

とかに変われる。

でも一番なりたい役は

 

「物事に動じないクールなムスメ」

 

色即是空

 

 

 

般若心経では万物は流転してるから実体はあっても、

捉えることができないからないと同じ。

時間も空間もあるけれど「無いと同じ」なら

 

 

それでいいじゃん!

 

 

そういう

 

 

有るけれど無いところで

私たちは感情の起伏を味わうために

100年ぐらいの期間、地球に遊びに来ただけ。

 

うわぁ、気が楽になった!

 

 

また母からの電話だ!

 

 

「ちょっと、生協からお肉が届いたんだけど取りに来て」

という母の命令にも

「雪が降りそうだから、やめておくわ。

「あなたねぇ、親が食べさせてあげたいっていう気持ちがわからないの?」

わかるけど雪になりそうだから冷凍でもしておいて」

 

 

Noが言えるようになってきました。

 

 

親は親自身の行動のクセがある。

私はそれにつねにYesと言わなくてもいい。

 

私にも同じように行動のクセがある。

 

これって実は普通で当たり前のことなんですが

人のことは見えても自分のことは認識できてない。

 

 

そうしてやんわりNoを言ったことで湧いてきそうな

 

 

罪悪感を押しやるのに「写経」「写経」と墨を磨る。塗香を手で揉む。

 

 

この墨の香りと塗香の香りのアロマ効果は抜群。

 

 

 

そして自分を見ることができない私は

天井あたりから「なかなか落ち着きがあっていい風情」と

ちょっとだけ自己満足できるようになったんです。

 

 

 

自己満足っていうとちょっとニュアンスがちがうけれど

「ちゃんとできた」という充足感、

ともちょっと違うけど

何となく「自分の言いたいことやりたいことができた」

ただそれだけ。