超ブラックな私の超カンタン・写経術ができるまで

超ブラックな私の超カンタン・写経術ができるまで

超ブラックな私の超カンタン・写経術ができるまで

 

 

今日からは、親子関係が最悪で「うつ病」寸前

もがきながら這い上がってきた

私のブラック・ストーリーを書こうと思っています。

 

もし真言マントラを書いていなかったら

自分を毒親育ちと憐れんでみじめな人生のままだった。

みじめさを隠して「人生満帆」の振りをし続けて

生きていかなくちゃならなかったハズ。

 

みんな何かを抱えている、

 

 

それでも平然と生きていくしかないんだ!ってことが

ストンとはいってきたのは「写経」をしてた時。

 

 

その日は去年の正月の四日だった。

 

 

正月の三日の晩に

 

母が「今から飛び降りて死んでやる」と電話をしてきた。

 

寒い中パジャマを着替えて走って行って

何度インターフォン押しても応答なし、

居留守をつかわれた私は叔母に電話をして確かめてもらうという

実に不愉快な夜を過ごした後だったので忘れられない日になった。

 

 

正月三が日の最後を母に夜の10時過ぎに騒ぎを起こされ

一年を台無しにされたような気分で朝起きた。

 

 

それでも「写経」をして良い一年にしたいと

願文で「家内安全」と書こう、

自分で自分を盛り立てなきゃ、と墨を摺ったのを覚えている。

 

 

墨を磨りながら「情けない情けない」と内心

心穏やかではなかったからか

「魔訶」と書き始めた墨が薄くて涙がにじんだようだった。

 

あぁ、紙がもったいない、と墨を磨り足し

「空中無色」と書いたところで

「無い無い、何にもない」と思い至った時

「そうなんだそうなんだ」と

 

 

「何にもないけど生きてくしかない」と思えたのでした。

 

 

その10日ほど後、朝の6時前に室内で転倒し手首骨折、

手術というアクシデントが起きたりしたの。

それでもストンがあったので

「なんとかなるさ、これからも」と

手術の実況中継のようなイラスト書いたり

曼荼羅書いたりの入院生活を経て今に至る。

 

それからコロナ自粛が続き、

世界自体が変化しているなかで不思議としかいえない

「真言マントラ」のご利益をいただいています。

 

 

そう言い切れるのは不思議なご縁が細い糸でつながっていっていて

「運が良い」としか思えないことが次々起こっているからなんです。

 

そして「わかる、わかる、そうだよね」とつながり始めたご縁、

ふたを開けたら、全部なにかしら「般若心経」つながりだったんです。

 

 

「写経」でルーティンの習慣のスゴサを実感

 

 

嫌な予定があったって一日は始めなくちゃならない。

高校生がイヤでもテストの日にずる休みできないのとおんなじ。

 

今は朝散歩と真言マントラ写経も習慣化できた。

できるようになった実感があるから

 

 

ひた隠しにしてきたブラックな私の話ができるようになったと思う。

 

 

ヨガ瞑想に失敗し、

佐藤康行先生のYSメソッドでも失敗し

中村天風先生のクンバハカによる積極精神も習得できず、

小池龍之介の「歩く修行」でも気は晴れず

鴨頭チャンネルでポジティブ思考習っても腑に落ちず、

振り子の法則勉強しても振り子を止められず、

 

全部キャン・ノットの世界!

 

あれもこれも「うつ病」みたいな私に効かないわ、

 

と内心で情けない言い訳をくりかえす自分に

 

 

「でも表向きには問題はない」とどこかで自分を弁護してた。

 

ホットヨガで心臓バクバクで死んでもいいや、

という捨て鉢さも「真言マントラ」のおかげで通過して

今は自分のケアだと心から思って通っている。

 

それもこれも、

 

何が何でも絶対に「書く」と決めた二つのことをやり続けたからだ。

 

一つはFBグループでの「今日の一言」

これは名言や格言がを主に投稿している。

 

その日一日自分を支えてくれる「尻たたき」の言葉でもある。

でも、グループのメンバーにも「今日の言葉良かった」という反応があって

その方たちの支えられて怠けることができなかった。

 

書きダメもしない、毎日自分のために書いているから。

 

インスタグラムでは毎日写経をしている方たちを見て、

あぁ、今日も書かれたんだな!

と自分からの一方通行とはいえ、

切磋琢磨できるフォロワーさんがいっぱいいらっしゃる。

 

 

だから真言マントラ18文字だけしか書かないのは

「気恥ずかしい」けれど、それでも自分のルーティンと書き続けてきた。

 

 

 

 

写経のすごいところは字は「個性的」でありながら

「写経」としてみると統一感があって不思議な力があるということ。

そして毎日絶対に

 

書かないと気持ちが悪いという「波動の高い」人たちが大勢いることだ。

 

 

チョット生意気な言い方だと思う。

けれど筆跡診断士として「写経」を拝見すると

ハッキリ書き手のエネルギーの大きさとか

行動のクセなどが読み取れてしまう。

 

 

そして驚くことに共通した腺がある、ハライ方やハネ方がある。

 

 

そして、僭越ながらエネルギーの流れが悪いときは、そのことも見える。

 

 

そういうときは270文字のなかで

何箇所も「文字」を立て直そうという意志が表れた字が見える。

 

 

最初の魔訶で「調子悪いな」と書き始めても

「空」とか「無」とか繰り返し書いている間に

 

 

立て直して最後の真言マントラで絶対にエネルギーをあげている。

 

 

自分で無意識にそうされている、

なぜなら「書く」時は脳より手が先に動き出すから。

脳がそういう作業の流れを先取りして手の方に指令を出しているから。

 

信じられないという方もいると思う。

 

でも「字」は嘘がつけない。

 

だからこそコンディションの良し悪しがハッキリわかる。

 

「写経」を日課にする人は

 

「気息」を整えるということを無意識のルーティンにしている。

 

あったこともない「写経好き」な方々、

いつも良いエネルギーをありがとうございます!と思っています。