孤独に歩め、林の中の象のように!散歩は修行だ。

孤独に歩め、林の中の象のように!散歩は修行だ。

今日の一言は釈迦

「孤独に歩め。
悪をなさず、求めるところは少なく。
林の中の象のように。」

『人生を変える言葉』から。

 

「孤独に歩め、林の中の象のように」

 

 

 

 

足並みを揃える、って言葉がありますが

散歩ですら無意識に横や後ろを見て

距離を保っていることに気付きました。

 

 

それは散歩を一人で楽しむ人が多いから。

正面からすれ違う時は会釈しておはようございます、というけれど
同じ方向に向かって歩いている方とは

ずっと同じぐらいの距離を保っている気がします。

中略した、
「悪をなさず、求めるところは少なく」は

まぁまぁでいいか、ぐらいの気持ち。

林の中の象のように、は悠々といこうかな。

象は走ったら速いのでしょうが、
歩いているところしか思い浮かばない。

「一人でのんびり、まぁいいかの心で
急がす悠々と歩けばいいんだよ。」
と受け取って、今朝も散歩してきます。

「ユニークな自分」には孤独はつきもの。

早い話が、私たちはこの世でただ一人の自分だからこそ
一人ぼっちの自分だし、孤独なのは当たり前なのよね。

生れてくる時もひとり、死ぬ時もひとり
生きてるときは自分の世界から周りの人の世界と
かかわりながら生きてる。

ご縁で結ばれた世界であった、共感できたり
反発したりの日々の出来事をお互いに錯覚しているだけ。

 

このぐらい開き直れば、お釈迦様の言ってることは当たり前かもしれない。
孤独は避けることができない、

 

だって私に他の人が乗り移って私と同じように感じることはないもの。

 

でも受け止め方次第では「私たちはみんな自由」
私の感情も考え方も自由だし、その全部を人に知られずに済む。

 

頭に浮かんだことが言葉になって「吹き出し」のように人に知れたら
大変なことになってしまう。

 

昔「サトラレ」という映画にそんな人がいたと記憶する。
彼の考えていること思っていることが周りの人にすべて知られて
周りの人は「そういうことが全くない」ようにふるまう。

 

ある意味で「理解される」「承認される」って怖いことだと思う。
孤独だってことを上手に生かしてプライベートな生活を充実させる。

コロナで家族の距離が近くてひとりになりたいこともあるよね。

 

散歩で孤独な「自由」を作るもの一つの手。

昨日の早朝散歩では鳥が飛んでいたり、

近所に知らない神社がひっそりとあったり、

小さく細かく味わうとなかなかの冒険だったりする。
歩くことは修行とはよくいったものだ!

御嶽神社・大峰行者堂+地蔵堂・弘法大使記念碑

大きな字で書く!
クセ字なんか気にしないで書く。

1日を気持ちよく始めるために書く。
筆相の良い字を書く。

紙いっぱいに大きく丁寧に
「好きな言葉」書けたらスゴク気持ちいい。

線の一本、一本に意味がある。

エネルギーの流れを大きくするよう
ちょっとだけ意識して書く。

字の上手下手より運を呼び込む
「開運」ゑびす文字です。

見てくれた方が気持ちよく1日を始められたら嬉しいです。