「あたたかい」ー「あ」=「たたかい」

「あたたかい」ー「あ」=「たたかい」

「あたたかい」ー「あ」=「たたかい」

私は脳脳科学者
の茂木健一郎先生の本が
好きなんですが、

 

脳科学の立場から見れば
「手を温めるだけで、
人が他人に優しくなれる」
書いてありました。

 

ホカロンは必需品ですね!

 

★★★★★
子供の頃
「手が暖かい人は、心が冷たく、
手が冷たい人は、心が暖かい」

と言うことを
聞いた覚えがありますが、
これはどうやら間違いのようです。
★★★★★

 

病気や傷ついている人を
看病することを「手当て」と言いますが、
この語源はまさしく
「傷ついた患部や、弱っている所に手を当てる」

 

ことから生まれたものです。

 

誰でも
自分の体に不調な部分があれば、
自然に手を当てるでしょう。

 

相手が痛がっていたら、
患部に手を当てたり、
擦ったりするものです。

 

それが自然な行動です。

 

 

自然に備わっている
こうした行動にもちゃんと意味が
あることが
科学的に解明されてきている、
今はそんな時代なんですね。

 

 

「手当て」は現代風に表現すると「ヒーリング」です。

 

「手当て」は気のせいでも何でもなく、
手からは確実に波動として

 

・「慈愛フォトン」
・「愛のフォトン」
・「祈りのフォトン」

 

が出ていて、それが癒しの効果を
もたらすこともわかってきています。

 

実際に手から何が出ているのかは、
素粒子のタイプは詳しく分かりませんが、

 

確実なのは体が温かくなると、人は優しくなれるということ。

 

自分が「あたたかくない」と
「たたかい」のエネルギーを出して
傷つけてしまうことになるのね・・・

 

仕事中でも手が冷たくなったら
温かいお茶を飲むついでに
湯呑で手を温める。

 

そうすれば、心が解け=ホドケ=仏に
近づいて、エネルギーを変化できる。

 

これだけでも、「手当て」には
明確な効果があると言えますよね。

 

「暖かい」と言う言葉から
「あ」をとると「戦い」になります。

 

「暖かい」と
「戦い」の気持ちがなくなり、
人に優しくなりますが、

 

逆に「暖かく」なくなると
心が硬くなり「戦い」の気持ちが
生まれてくるのかもしれません。

 

手が温かくなるだけで、
他人に優しくなれるのですから、
全身が暖まれば、
もっと優しくなれるのでは
ないでしょうか?

 

 

 

お風呂上がりに、不快な気分
になる人はいないでしょう。

 

もちろんシャワーを浴びても
スッキリがしますが、
シャワーだけでは、なかなか
「ゆったり」や「ほっこり」までは
いきません。

 

温かいお湯に身を沈めると、
誰もが自然に「ゆったり」
「ほっこり」できるものです。

 

この「ゆったり」「ほっこり」した
感じこそ、他人のことを思いやる
心の余裕を生み出すのないでしょうか?

 

湯船につかると、思わず「ふわーっ」と
声が出るのは全身が「緩む」からで

 

体が「緩むと」と
心も「解け」=ホドケ=「トケ」「仏」て、

 

相手を「許す」ことができたり、
怒りも治まるようになったりします。

 

毎日お風呂で、全身が緩む感じを
味わっている人と、
味会わない人とでは

 

ストレスを比べたら
明らかな違いが生まれてきます。

 

もちろん「暖かい」ばかりが良くて
「寒い」が悪いわけではありません。

 

どちらも偏りすぎてはいけませんが、
あなたが人生から余分なストレスを
取り除きたいと思うなら「暖かい」を
習慣にしておく事は、役に立ちます。

 

 

 

 

誰もが「暖かく」扱われたいですし「暖かい」人に引き寄せられるもの。

 

他人に温かく接したいと思うのなら、
まず自分を暖かくすることです。

 

 

温かい眼差し、
温かい笑顔、
温かい手、
温かい言葉、
温かい心遣い。

 

そんな温かいあなたを、他人が
そして宇宙が天の神様が冷たく
放っておくはずは無いのですから!