レムリア人は「悟り」を体現してた「サトリアン」でもあった?

レムリア人は「悟り」を体現してた「サトリアン」でもあった?

レムリア人は「悟り」を体現してた「サトリアン」でもあった?

 

いくらレムリア人=縄文人の思考
ノンデュアル=パラレルワールドを
理解していたとはいえ、

 

私たちはエゴを持っている以上
生まれてくるときも「一人」
死ぬときも「一人」という事実は
変わりません。

 

そして、生きているということは、
やがて来る「死」への道のりでもある

 

それを「悟る」と
どうしようもなく「むなしい」

 

そう、「空」であり「無」であり
長い時間の中では一瞬の命なんですよね。

 

 

 

 

哀しいかな、悲しいかなを悟った空海

 

 

それを空海は、

 

 

「哀しい哉 哀しい哉
哀れが中の哀れなり
悲しい哉 悲しい哉
悲しみが中の悲しみなり
哀しい哉 哀しい哉 復 哀しい哉」

 

 

空海の言葉は人の世は哀しみに
満ち溢れているようにみえますよね?

 

ここでは

 

かなしいかな、かなしいかな、
あわれが「中」のあわれなり
かなしみが「中」のかなしみ
最後は復=また、哀しいかな。
っていってるのね?

 

 

この「中」は、マイナスでもプラスでもない心の在り方

 

仏教でいうところの「中庸」という
振り子は振っているけど、いつも
真ん中を通って左右に振れているのを
イメージしてしまいます。

 

 

私たちは長年にわたる
「ポジティブ信仰」に
毒されているって思いませんか?

 

 

最近ではポジティブ思考が、
日本人の性質に
あまりフィットしないという
観点もありますよね。

 

 

私たちは「天災」の多い国の
長い歴史を遺伝子レベルで知っているから
「無常」という感覚も知っている。

 

日本人が、とつけたのは、
どこかの調査で中国やアメリカの人々に
比べて、日本人は「自分に自信がない」
という点で世界最低点だということでも
わかります。

 

中国やアメリカでは50%ぐらいの人が
自分に自信を持っている。

 

 

けれども日本は17%だったかな?

 

ともかく自己評価が低すぎる
ということが話題になりました。

 

 

自己愛が、足りなすぎ!

 

 

レムリア縄文人は
「食べて、笑って、恋して、
歌って踊って、けんかして、」

赤ちゃんのように赤裸でした。

そして、「無常」を知っていて
「悟り」を持っていたサトリアン、
でもあったんです!

 

縄文の遺伝子はサトリアン!

 

空海は「レムリアン」であり「サトリアン」でもある!

 

 

明星の暁の星が空海の中に
飛び込んできたという瞬間、

 

レムリアの遺伝子の記憶を
全部映画のように観たんですね!

 

みんな、
死んでいくために生まれてきた
「おんなじ」人間なんだって!

 

だから、高野山の奥の院は
誰でもウェルカムになっているの。