絶望して動けないほどの介護疲れ、落ち込んだら名古屋嬢どうする?

絶望して動けないほどの介護疲れ、落ち込んだら名古屋嬢どうする?

「動けば運がやってくる」ゲッターズ飯田さんの言葉。

 

バーバラ、絶望について書くのは得意ではありません。

が、今回は自分が「書いてスッキリ」までの行動が起こせないことがわかりました。

 

 

理屈ではみんなわかっているよね?

固まって、うずくまって泣いてたって時間の無駄。

考えたところで事態はよくならない。

 

毒親カウンセラーさんだと「自己受容」してから

「自己肯定感」をインプットするというシンプルな図式です。

 

 

その方法は理解できても心が絶望してるから受け入れられない。

 

介護に直面している方ならわかっていただけると思いますが、

ともかく言葉の暴力、それも親からだと心ズタズタになってしまいます。

 

筆跡診断士のワタクシ「バカヤロー」からの5ステップで怒りの解消メソッドやってます。

今回は、怒りといちょっと違うのね、怒りはまだ反転するパワーが残っているの。

 

絶望モードに入ると「なぜ私は母の言葉に反応してしまったのか?」という

後悔がどっと台風の時の海岸にでも立っているように荒波が押し寄せる感じ。

 

誰かに優しい言葉をもらっても、反対に喝入れされても心がノーと叫ぶ!

 

一人で閉じこもり書物に救いを求めるのが精いっぱい。(ほっといてモード)

 

偶然なのか必然なのか『反応しない練習』という草薙龍瞬さんの本が机にありました。

娘が買ったようですがないか悩みでもあるのか?と本を見つけただけで揺れる親心。

 

ちょっと見せてね!というと「どうぞ」というので過干渉の親の真似をしないように

そっと自室で読みました!

 

サブタイトルは「悩みを消してくれるブッダの超・合理的な考え方」とあるので

宗教色は少なくブッダの合理的な思考を学んで

 

1)反応しないということ

2)目の前の感覚的な行動に没頭する

 

ことで悩まない体質になりましょうという本でした。

反応しないというブッダの超合理的な考えは文章としては理解できます。

 

「あぁ私は今反応しているな」、と考え、

「それは一体なんになるというの?」と自分の気持ちから切り離す。

でもね、現実「親不孝娘」「私が死ねばいいと思ってるんでしょう?」

と母親に絶叫されたら、

 

簡単に「あぁ、彼女の考えは違うな」と観察する、

なんて「できない」事が問題だとわかります。

 

なかなか毒のある言葉を浴びると

反応しないようにしても「毒言葉」は頭の中で回り続けてしまうもの。

 

 

「母方の非難」は、やる気をなくす毒ガス爆弾なんですね。

 

「動けば運がやってくる」普段ならそうだそうだと拍手します!

 

私の場合、母の言葉の暴力に反応しないようになりたいと

『反応しない練習』を読んでいたところ「人のことは考えない」という

分離した対処法で、つまずいてしまいましたが、

 

要するに「距離を」物理的にも心理的にも置く根性を持て!と言われますが、

なかなか自分の行動の癖とわかっても、

私の場合「母が本当に何をしでかすかわからない」キャラなの。

 

おととしは父置いて家出したり、

自殺するって手紙書いてホテルに泊まっていたり。

 

もう、こちらが限界まで頑張ってるけど無駄なんだ・・・という虚しさ。

冗談ではなく涙も出ませんよ。

 

 

そこで「歩く」「ただひたすら歩く」という言葉に今回は出会ったの。

 

「行動としての「外に出てともかく歩く」は体の感覚を意識して頭を空っぽにする。

この方法「やろう」と思って、昨夜は雨の夜でしたが傘さして

近所のコンビニまで30分ほど歩いて行ってきました。

 

コンビニまでの道では水たまりに気をつけながら、

右足左足と地面の感覚を味わうようにしました。

 

空気の匂いにも気をつけました。

草薙龍瞬さんのの言うように、コンビニには色々な方がいて、

それぞれの暮らしをしていることも認められました。

 

歩くことによって外の空気を吸い、腰痛持ちでも歩けることに感謝できました。

世の中みんな色々な生活をしている人がいるな、と素直に思えました。

 

カフェラテ飲んで一息入れて戻ってきました。

私がいるこの小さな田舎の町は地球規模なら砂、

そして、わたしだけの地球じゃないものね。

 

気持ちが楽になって、夜はぐっすり眠れました。

 

外に出て歩く、これは今後もやれる絶望「立ち直り」気分転換だと実感しました。

 

筆跡診断士としては「書いてすっきり」を実践していただいていますが、

今回は「書くような気力も出ない」という絶望モード。

 

さんまさんではありませんが「いまいきてるだけで、丸もうけ」

私たちは死ぬまでは生きて生きていき切らなくちゃいけないものね!

 

歩くことが悟りの道だから「比叡山千日回峰」があるのですね。

阿闍梨になるために毎日30キロから70キロを自分の足で歩く修行。

 

私たちが絶望から「書いてすっきりしよう」までの蟻地獄にハマったら

「右足」「左足」とぶつくさ言いながら(考えないようにするため)歩いてみてね!