泥沼家族、母娘やかん殺人と映画『葛飾事件』

泥沼家族、母娘やかん殺人と映画『葛飾事件』

泥沼家族、母娘やかん殺人と映画『葛飾事件』

 

オリンピックの開会式を見ていて

ふいに思い出したのが2014年の地元愛知県の

55歳の娘がやかんで殴って83歳の母殺害事件、

そして三浦友和主演の映画『葛飾事件』。

 

 

まったく脈絡がないのにフラッシュバックした2つのこと。

人間は記憶でできているってホントだなぁ、と思います。

 

 

 

やかん殺人事件と聞いてもわからないと思うので

以下引用します。

 

 

2014.4.20 ニュース
同居する母親の頭をやかんで殴り、殺害しようとしたとして、愛知県警岡崎署は20日、
殺人未遂の疑いで、同県岡崎市井田町、紡績会社社長IN容疑者(55)を現行犯逮捕した。母親のYさん(83)は死亡しており、同署は殺人容疑に切り替えて調べる。 逮捕容疑は20日午前10時ごろ、自宅でYさんの背後から、頭をやかんなどで数回殴って殺そうとした疑い。岡崎署によると、I容疑者が20日午前11時10分ごろ「母親を殺した」と119番し発覚した。http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140420/crm14042015260008-n1.htm

 

 

 

このニュースについては私の通う裁縫の教室で

「なんかわかるよね」と全員がうなづいてしまったのだ。

この55歳の女性、思い余って逆上のあまりの犯行だよね。と。

ニュースの表面だけを見ても一人娘が父親の死後

会社を継いで結婚もなにもかもあきらめて

事業を切り回してきた。

 

 

 

人生全部を親の期待に応えるために頑張ってきて

 

実の母のねぎらいも感謝もなかったんだろうと思う。

 

お稽古のメンバーは長女がそろっていて

全員が実は大なり小なり親の面倒を見ていたの。

 

 

 

私も7年前の当時は「介護」以前に「親の面倒」

というか日常生活のサポートをするようになっていたので

なんとなく虫の知らせのように恐怖を感じたニュースだった。

 

 

 

その時にお仲間の二人が

「父がいなくなったら途端に地が出るのよ。

ありえない尊大な態度になるし、家屋敷と墓を

セットでもらえるんだから感謝しろという

上から目線でえらそうにするのよ。」

 

 

と愚痴っていた。

 

 

それが今や

 

私が一番愚痴りたいメンバーに昇格。

 

なんといってもみなさんお父様はお空の人。

うちは「老衰で入院」1年8か月で記録更新中。

 

私ははみ出してなんかいない

「親の介護」やってるんだから!

常に心では絶叫アピールしています。

 

 

 

 

 

「親の世話」できて当たり前

という同調圧力が限界を越して

家庭内殺人事件になるんじゃないの?

 

 

今では殺人事件は

 

 

「ハスの花が咲いているような泥沼の家庭で起きる」

 

と認識するに至っています。

『葛飾事件』どうしようもない泥沼家族の映画でしたね。

お金払って損した!と思った

どうしようもない『万引き家族』とともに

後味が悪い映画のトップ10に入ります。

 

 

以下あらすじ

 

 

 

美しい妻と2人の息子、そして念願のマイホームと、思い描いた理想の家庭を築いたはずだったのに、気がつけば妻は思考停止状態、長男は自らを追い詰め、次男は無差別殺傷事件を起こして死刑囚となる。「俺がいったい何をした!」を被害者面して開き直っているが、すべての根源は、家族を抑圧し続けてきた自己中心的な清本人の振る舞いだ。関わり合いにはなりたくない、しかし一瞬たりとも目が離せない。最悪なのに絶対にハマる、そう、これが葛城清だ!https://eiga.com/movie/83276/special/

 

 

市場最悪なセルフィッシュな毒親に

ハマるってどういうことなの?と映画のコラム見て

憤慨する私ですが、要するに「人の不幸」なたOKなんですよね?

 

 

 

老々介護「うつ」で無気力状態を経験しました。

 

それどころか、

 

ホットヨガとかで「成り行き」で発作でも起きて

先に死んだ方が楽だとおもったりして。

 

 

 

「先に逝ったモン勝ち」とは

よく言ったもんだと思っていたりしました。

 

当時を振り返ると、

毎日が泥沼で動けない自分が情けなかったです。

父も母も底なしに「してくれるのが当たり前族」

ぜったいに及第点がもらえないのですから

「私って最低のダメダメ」という自己否定感が

地層のように堆積していました。

 

 

ネガティブな感情に翻弄されてるから

世間のことに関心持てず

オシャレすることすら忘れてしまいました。

 

 

 

 

そういう時に「ダメな私助けて」という気持ちを

吐き出すのに写経に熱中していました。

ともかく仏教には関心ゼロ、だけど救いが欲しい。

時間をつぶす作業が欲しい、と写経をして

疲れると風呂を磨いたり、ガス台を磨いたり

磨く作業に逃げることを繰り返していました。

 

 

 

でも、そのことが自然治癒力をあげていたんです。

 

 

 

紙に書くというのは数秘術の「はづき映虹」さんによると

「神様に申し上げる」行為とのこと。

写経で難しい漢字を書きながら内心で

「お助け下さい」を繰り返していたんですね

 

 

また家事こそ禅の修行のはじめの一歩とか。

 

 

汚れたところを磨くという行為は魂磨きに通じるそうです。

 

カウンセリングを受け、病気を止めるセミナーを受け

心療内科の薬を止め、なんとか這い上がってこれたのは

 

「書く」ことと「磨く」こと。

 

今は歩くことも加わっています。

写経を続けて見えてきたもの、

写経でつながってきたご縁が

だんだんと「怒りの解消」メソッドから

「開運・写経」へと変化し続けてきました

怒りを解消するだけでは足りない。

感情を大事にしたその先は

「感情を整えて」

いいエネルギーを自分の中で作り続ける必要がある。

 

 

仏教には関心がありませんが、

仏教学者でもある「脱洗脳」のスペシャリスト

Dr.苫米地の「近未来のブッダ」から

学ぶことが沢山ありました。

 

 

 

この世は「縁起」というものが、

分子構造モデルのようにつながったり離れたりして

ひとつひとつの人間関係がひとり一つの地球のように

あるんだよ、というやさしいお話。

 

 

一人一人がワンワールド。

 

あなたが見ている世界と私の見ている世界は別のもの

 

それだけど重なっているところがあるという仮定で

人間関係は常に変化し続けている。

オリンピックの開会式の

ドローンによるピクトグラム!

きれいでしたね!

 

 

 

 

あの映像を見た時に、

人間関係はその人その人の持っている

独自な世界の点と点が漂いながら

大きな丸になっているような幻想だと納得できます。

 

 

こういうモデルが見れるとわかりやすい!

 

 

とピクトグラムの地球の映像を見ながら

「もっと早く知りたかった」と思いました