レムリア人の記憶の一番の大本には大陸の喪失がある。

レムリア人の記憶の一番の大本には大陸の喪失がある。

レムリア人の記憶の一番の大本には大陸の喪失がある。

今日は大震災があった日ですね。

私も黙祷を捧げさせていただきました。

私は被災地とは離れた愛知県人。
言葉で何を言っても慰めには
ならないとわかっています。

 

けれども、あの震災を
ニッポン人として深く深く
心に刻み込んだ、と申し上げます。

 

レムリア人の記憶の一番の大本には
大陸の喪失がある。

 

日本列島の先住民には
レムリア人だった記憶がある。

 

この集合的無意識によって
私たちの「悲しみ」「「嘆き」
「死」「不条理」「虚しさ」「絶望」
は共有されているんです。

 

だから、あの災害に対して
私たちの心は共振して共鳴して
悲しみの大きな波動として
受け止めていたと思います。

 

この震災に関して、
私が言えることなど、ひとつも
ありません。

 

けれども不条理に対する
私たちの究極の「光」を
見ることもできるんですね。

 

映画『護られなかった者たちへ』

https://ebisumoji.com/hisseki-71/

では、筆跡について書きましたが、

 

登場人物にはそれぞれに
不平等に対する怒り、
行政に対する許せない気持ち、
自分の不正を正そうとする気持ち
いろいろな感情が渦巻いています。

 

でも、それそこが

 

赤裸なレムリアのありのままなんです。

 

悲しみや憤りの仕方にも個性があります。
それこそが「宿曜」が持った法=さだめ

 

生まれ持った「個性」があることを
空海の宿曜では明かしています。

 

人は邪気を浴びてしまうことがある。
人は邪気に操られてしまうことがある。

 

宇宙の法則では「すべて」の事象には
善も悪もなく、ただ流れていく時間の中で
各自の持つ「世界」を部分共有する。

 

誰もが持つ自分の世界と重なるところで
一緒に共鳴・共振する世界。

 

 

 

 

空海は、室戸岬の洞窟で「サトリ」を
得たときに、レムリアの記憶が
覚醒したんですね!

 

私たちは、誰もが死ぬ法=さだめ

 

それなら、どんな生き方をする?

 

この世に生存する
すべてのものとの共存を目指し、

 

「自福利他」を心がけ、
りきまずに人生をふぅわり
佳き流れに乗って漂っていきましょう。

 

誰もが「天」が見ていることを忘れる
魔が射すときがあります。

 

そんなときは

クワバラクワバラクワバラ