『夏目友人帳』⑬村の守り神がウラミツラミで妖怪に

『夏目友人帳』⑬村の守り神がウラミツラミで妖怪に

『夏目友人帳』⑬村の守り神がウラミツラミで妖怪に

「春に溶ける」あらすじ
雪の積もったある日、しばの原にやってきた夏目とニャンコ先生。
そこにはかつて、二匹の森の守り神の像があったという。
今では一匹しか残っていないその像から、夏目に乗り移ろうと襲いかかる人外の影が…!
しかし誤って夏目の作った雪うさぎに乗り移ってしまった妖「玄」は、魔封じの木から放たれた悪霊を退治するのに力を貸してほしいという。玄が退治しようとしている悪霊とは…?

「春に溶ける」シーズン2の2話

 

「玄」と「翠」という対の狛犬、
その昔、森の鎮守の神様として、
人によって招聘された神々だった。

 

森の守り神と名乗っているから、
「氏神うじがみさま」「産土うぶすなさま」
「鎮守ちんじゅさま」ということになる。

 

古くは、氏神は同じ氏族が共同で祀った祖先神を、
産土神は人々が生まれ育った土地の守護神を、
鎮守神は国や地域、寺院、王城などの場所を
守護する神のことをさしました。

時を経て、これらの神様は時代の変遷とともに、
同じ意味に使われるようになっています。

この森の鎮守の一対「玄」と「翠」は夫婦神のよう。
ふたりは一生懸命に村人の願いを叶えようとしましたが、

 

もともとの「使命」は森の鎮守の神様で、凶作を豊作にする力は持っていない。

 

「玄」とは、赤または黄を含んだ黒
「翠」とは、みどり/青緑 翡翠のメス オスは翡

 

 

ともかく、2人は身を削って「光エネルギー」
村人の畑に必死に飛ばしまくるのだが、
焼け石に水。

 

そもそも森の神様なんだから「おはたらき」=「使命」が違う。

村人たちは、凶作を二人のせいにして、
集団でクレーマー暴徒と化し、
「翠」のほうの狛犬を叩き潰してしまう。

 

神様はおからだがないので、
「玄」はなすすべもなく
「翠」が木っ端みじんに砕かれるのを
見ているしかなかった。

 

 

 

「翠」は三色の虹を「玄」とみるのが夢だった。
はかない女神で「ふたりでいること」に満足して、
森を守る「使命」を果たしていた。

 

凶作、飢饉とあっては、村人たちも
「神様」に当たるのも無理はなかろう。

 

私だって、子育て中の農民だったら、
子供に食べさせる米ができない、餓死するしかない、
となったら神様を恨むだろう。

 

村人たちが集団で暴徒となるのは
「絶望」のあまりだったろう。

 

けれども、もともとの村人たちは
知らなかったのだろうか?

 

凶作にならないために、雷のエネルギーを宿した
パワフルな農業神「賀茂別雷神」を
勧進する必要があった。

 

そもそも、

 

お門違いの鎮守様に、八つ当たりするようなことじゃイカーン!

 

ツクヨミも、農業の神様といわれていますが、
この神話のエピソードは
スサノオと被っていて、私は採用していないの。

 

ここで描かれている物語は、
人に見放され捨てられた神が「あやかし」に
なってしまっている事。

 

祟り神、とはいわれていないけれど、

 

「人に害」を為すなら神様より「あやかし」の方が正しいのか?

この一対の鎮守の神、狛犬として置かれただけで、
神社や御社はなかった村。

 

だれか村のリーダーとか「語り部」が、
神様のことをもう少し理解して、
それこそ「田の神」という土地神様に
「お願い」すればよかったものを、
と思わずにいれません。

 

 

「翠」が「とても幸せ」と
「玄」と一対でいられることを喜んでいましたが、
このなにげない1コマに「知足」「喜び」が
現れていて、

 

神様の「満足して喜ぶ」という本質がチラッとでています。

 

それに対して人間は「足りない足りない」と
不満をぶつけて「神頼み」、あぁなんて人間の
「足りない」ところが出ちゃっているんでしょう。

 

神様の「おはたらき」も、量子力学的に
「命の光を削って、村人のところに飛ばした」と

 

 

 

言っていることから、

「玄」と「翠」は光の素粒子フォトンを
必死に生産して飛ばしていたのです。

 

村人たちには、その神様の「おはたらき」が見えないの。

アニメでは、そういう描写があって、
雪ウサギに憑依した
「玄」がオーラを放っていたり、
涙を流したり・・・神様だって悲しむんですよね。

 

 

 

『夏目友人帳』では、
神様も、人気がなくなっちゃうと、
神様は縮んだり、存在が希薄になって
溶けちゃったりしています。

 

私たちは「見えていない」もの、
特に神様に関しては、常に「いらっしゃる」と意識して、
いろいろな神様の恩恵として、

 

良い波動に乗らせていただきましょうね!