上流階級は名前を改名してまで「子」を使った!
上流階級は名前を改名してまで「子」を使った!
尊称からして「皇太子」というのが
別格だってわかりますよね?
それから役職で「大使」っていうのも
「子」=シ=「使」も「はたらき」
聖徳太子は、
「聖」耳と口が王でできてます。
「徳」は漢字博士の白川静さんによると、
司祭王の目による呪力で
土地を抑えることを意味していたが、
やがては、統治者としての
資質や自然万物を育成する力を表す字
「太」もともと泰の古文の字体。
つまり「太」は「泰」の異体字。
意味も泰を受け継ぎ、
「ゆったりと落ち着いている」という意味。
「子」はいうまでもなく、無垢な魂と、
美しさの威力で他を圧倒するという意味。
ですから
嵯峨天皇(第52代。在位809~823)の時代から、皇女の名は「〇子」一色。
有名な「お竹田さま」こと
竹田恒泰先生によれば、このことは
外戚の藤原氏から来ているそうです。
これに倣って、上流階級の女性の諱(いみな)
宮仕えや叙位に際して命名される)も
「〇子」に統一されたようです。
昔の人は、通称・実名など何通りもの
名前を持っていましたし
多くが何度も改名もしています。
また、天皇の側室や后となるときは、
宮仕えや叙位を伴う。
したがって、天皇の側室や后は必然的に
「〇子」の名前を持つことになりました。
嵯峨天皇の時代以降、「皇女」および
「天皇の配偶者」は、
すべて「〇子」の名前だそうです。
この前例を踏襲し続けて1200年、現在に至っているというわけなの。
たとえば、 豊臣秀吉の正妻は
「木下ねね」で、そのお名前では
叙位を受けられないので、公式の名を
「平朝臣寧子」たいらのあそん「ねいこ」
にして、その名で従一位に叙されました。
(明治時代になってもしばらくは、
「〇子」の女性名は公家・華族のもので、
それ以外の女は「仮名2文字」が多かった。
乃木希典将軍の夫人は
江戸時代の生まれで藩医の娘であり、
戸籍名は「シヅ」だったけれど、
通称として「静子」を名乗っています。
わが家テレビのB-CASカードが壊れ
大河ドラマが見れないで困っています。
もう、藤原氏やら、皇室やら、
平安絵巻に登場する方々の「お名前」
拝見できないなんて、ツラーイ!
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