『愛の不時着』さぁ、ここは泣くところだよね?

『愛の不時着』さぁ、ここは泣くところだよね?

どんな映画を見ても泣けない感じる力もなくなってるのか?

 

「親切」し始めたから?鈍感になってる?

『愛の不時着』なんて今更アンタ遅いわね!なんです。

しかし友人が何人も

あの北の様子を見ていると私たちの思い込みって間違ってるかも?」

と言っていて、話題についていけなかった。

なんでも3人の友人が3日連続で全部見れるし、

続きがどうなるのか知りたくなる。

 

 

 

そして今「主人公ふたりが熱愛中」とのこと。

今見ておくべき!と言われ睡眠時間を削って観ています。

不時着した財閥令嬢で実業家という設定も

「お約束」なんで最初は「ワガママ」さしか見えなかった。

けれど彼女の家族関係みたら、

お金で幸せは買えないという「お約束」がこれでもか!

露出する母親のバックグラウンドがなかなか見えなかったです。

最終的には母親とムスメの愛憎が大団円になる。

 

 

 

北と南の恋人もスイスで1年に一回デートするようになり、

 

「ふたりは末永く幸せに暮らしましたとさ」の

ハッピー・エヴァー・アフター。

 

シンデレラ姫や白雪姫と同じ構造。

わかってはいても私たちは

「ときめき」に巻き込まれて

「愛のドラマ」を泣き笑いして楽しむことになるの。

 

 

ところが、私、

 

さぁ、ここは泣くところだよね?というところで

悲しい、悔しい、ドキドキ、ハラハラはあるものの

 

 

涙出るほどエモーショナルになれない。

 

 

多分いつも母が私を非難するように

「人を愛せない石のような女」だからでしょうか?

笑うところは大笑いできます。

しかし、ここは泣ける場面だよね、で泣けない。

 

 

 

 

あぁ、ひとりで見ていて良かった!

泣かない女は枯れてるよね?

「感情」を出せない自分がちょっと不甲斐ない。

 

しかし、大泣きして怒り暴れたり、

罵詈雑言を垂れ流す母を身近に見ていると、

やれなくなるものだなぁ、と

冷めて受け止めるしか無いんですね。

 

ドロドロの家族の諍いには涙が出なくなっちゃったけれど、

「親切」が上手にできるようになれば

悲しいでも泣けるようになるのかなぁ?

 

 

一方でオリンピックでは本当に泣けます。

 

 

ポジティブなほうには感情が大きく揺れる。

 

 

「あぁ、良かったね!今まで人に言えない苦労と

努力をしてきて、本当に良かったね!」という

泣き方はできるの。それでやっぱり

涙の浄化作用」が気持ちが良いこと実感。

どっぷり涙で目の玉洗えるほど泣こうと

「オリンピック」は必死に観戦しています。

 

 

『愛の不時着』の北のことですが、

人間置かれた環境でたくましく生きている。

笑いあり、涙ありの普通の人間ドラマ、

女性達もオシャレです。

昔から古今東西「喜怒哀楽」は同じ。

 

そう思うと人間は「ずっと変わっていない」と思うだけ。

だから2000年前のキリストが生きた時代も

2500年前の釈迦の生きた時代も、

同じでテクノロジーが進化しただけ。

 

 

人間のもつ感情は複雑に見えるだけで同じ。

 

 

そう思うと私たちが『自分』だと思っている部分は

宇宙から見ればチリより小さな一部分に過ぎない。

私が泣けないことなんて宇宙からみたら

「それが?問題なの?」という有っても無いに等しいこと。

このチリに執着すると、それ以外の無限の可能性を

「空」の世界を全て捨てることになっちゃう。

あなたはチリを選びますか?

それとも「大きな無限の広がりの空」を選びますか?

 

「写経」して気分がスッキリして大口叩いています。

 

お盆休み前には私の「超カンタン・写経術」で

毎朝たった10分の真言マントラを書くだけで

スッキリできる5つの法則をお届けしたいなぁ。