猛暑のなか四国のお遍路さんに行くね!

猛暑のなか四国のお遍路さんに行くね!

猛暑のなか四国のお遍路さんに行くね!

急に思い立って、お遍路さんの続きに
いこうと思っています。
明日の朝というか、今夜の夜中に出発。

私って誰?結局「私の世界」って幻なの?

 

「哀しい哉 哀しい哉
哀れがの哀れなり
悲しい哉 悲しい哉
悲しみがの悲しみなり
哀しい哉 哀しい哉  哀しい哉」

 

空海の言葉は人の世は哀しみに満ち溢れているようにみえますよね?

「哀しい哉 哀しい哉
哀れが中の哀れなり
悲しい哉 悲しい哉
悲しみが中の悲しみなり
哀しい哉 哀しい哉 復 哀しい哉」

でも、この
かなしいかな、かなしいかな、
あわれが「中」のあわれなり
かなしみが「中」のかなしみ
最後は復=また、哀しいかな。
っていってるのね?

 

この「中」は、マイナスでもプラスでもない心の在り方


つまりレムリアンって

「銀河の法則」におまかせ。

私たちは長年にわたる
「ポジティブ信仰」に
毒されているって思いませんか?

最近ではポジティブ思考が、
日本人の性質に
あまりフィットしないという
観点もありますよね。

日本人が、とつけたのは、
どこかの調査で中国やアメリカの人々に
比べて、日本人は「自分に自信がない」
という点で世界最低点だということでも
わかります。

中国やアメリカでは50%ぐらいの人が
自分に自信を持っている。

けれども日本は17%だったかな?

ともかく自己評価が低すぎる
ということが話題になりました。

「自我」を薄くしていくなら

「自分」はかすんでいくから自己評価は要らなくなるんです。

 

意識をぼやかして
「あたたかい光」のような
エネルギーの中に溶け込んで
いくような気持。

お遍路さんでは「般若心経」を
唱えまくります。

頭を空っぽにして
「何かを思い出したり」
「自分はダメダメ」
なんてことは考えません。

なかには「空」「無」という漢字が
何度も出てきます。

意味は解説書で
自分の好きな意味を勉強するのも良いし、
知らなくても構いません。

知らない方がスッと心に
温かいものが入ってくることもあります。

経文を唱えると「音」の持つ「霊」が
「こだわったりすることはありませんよ」
「悲しんだりする必要はありませんよ」
「宇宙のエネルギーがここに転写していますよ」

と真っ先に自分の頭の中に入ってきます。
心の中に沁みて広がってきます。

 

私は最後の18文字の真言を「感謝のマントラ」と思っています。

 

良く知られる最後のマントラ
「ぎゃーてーぎゃーてー」には
意味はありません。

というよりも
仏教者ではないのでマントラは
「おまじない」と捉えています。

「最高に強力なおまじない」

私は私であってもいいし、私でなくてもいい。
エネルギーとしてここにあるだけ。

集合的無意識の大きなエネルギーの
一部でもあり、そのすべてでもある。

マイナスでもプラスでもなく、
ものさしがない状態を受け入れています。
という状態かな?

無理をしなくても
人って前を向いていきますから、
無理をしない程度の
プラス思考を持っていて、

過去のことを
クヨクヨ悩む必要がないことを
知っている。

 

プラスとマイナスの均衡がとれていてニュートラルな状態を「中庸」といいます。

 

「文字」と「音」の持つ「霊」が
このことを教えてくれる。

 

空海の秘儀「右脳ハック」っていうのは、
「中庸」の気持ちを整えて
「銀河系宇宙の法則」を讃えて、
生きている喜びに感謝できるようになる
レムリアの「智慧」を引き出せるの

 

真言=マントラは、あなたを守る
「最強のおまじない」

 

声に出せば「音霊」はバリアとして
あなたの周りに結界を張りめぐらし
宇宙に向かって「プロテクター」の
エネルギーを最大出力で放出する。

 

だから、ご利益は満載なの。

 

マイナスでもプラスでもない
「中庸」とういう心の状態、

 

空海がいうところの「中」は
人間は生れてきた以上は
生きてくだけで大変だし「哀しい」

そして滑稽なほど「悲しい」けど
「哀しい」というのは「あわれ」

 

あわれ=あはれ、って、みじめなことじゃないの!

 

「哀れ」「あはれ」は「儚いこと」
生きてる間なんてあっという間の儚さ。
そこを言っているのね!

四苦八苦のこと言ってるんじゃないの!

そこを目指しましょ!