親ガチャで捨てられたえびす様のレムリア的解釈

親ガチャで捨てられたえびす様のレムリア的解釈

親ガチャで捨てられたえびす様のレムリア的解釈

えびす様とは
レムリア的にどんな意味があるか?

結論からいうと「無抵抗」「無欲」の
象徴と考えます。

日本書紀では、

「三歳になっても立つことが
できなかったので、
天磐櫲樟船(あめのいわくすふね)
に乗せて風のまにまに放ち棄てた」

 

と書かれています。

 

3歳までは「育てたんかい?」と
聞き直してしまいそうな
親ガチャの親って誰だったか知ってる?

 

イザナギとイザナミ様でしたよね?

 

最初に生まれた子だから長男なんですが、
足腰立たずの役立たずと思ったのか
捨てちゃうのね!

 

ひどい話のように思えますが、

 

古来にはこうした捨て子の話が、英雄神話にはたくさんあるの。

 

水蛭子(ヒルコ)が乗せられた
葦船や天磐櫲樟船は、
再生を約束する柩(ひつぎ)を
象徴する器だと考えられる。

未熟なものを葦船に乗せることで、

完全で強大なパワーをもつ神へと昇華させることを祈念した

とのこと。

レムリア的には
どういう意味になるでしょう?

 

まず、3歳児とはいえ「捨てられた」
えびす様は「無抵抗」の象徴。

 

そして能力がないはずの「捨て子」は
のちに「お金の神様」としての
「使命」を果たされています。

 

つまり、その「お金の神様」という
使命の中にも、必要以上を求めない。

 

いまの資本主義を戒める
レムリア的な「おはたらき」を
明快にっされています。

 

 

えびす様は裏を返せば

 

水蛭子(ひるこ)は「英雄」になること、

 

それも「資本主義的ではない」
試練を乗り越えた「お金の神様」という、
きわめて重要な神であることが
運命づけられていた。

 

「貴種流離譚」という言葉が
古くからあるように、

 

高貴な血筋のものが、
試練を受けて立派に成長するという話ではなく、

 

優しい「レムリア人漁師」に拾われ「人として育てられた、欲張らない神様」

 

自己卑下もしないし、
欲張りな人の批判もしないし、
ただ「笑顔」のエネルギーで
「人間に銀河系宇宙の法則」を
語ることなく伝えることを
果たされたんです。