レムリア的「名前」の考察

レムリア的「名前」の考察

レムリア的「名前」の考察

普通「名前」は「氏名」といいます。
私は宇宙との約束、「使命」との
ダブルミーニングを読み取っています。

 

日本の場合は八百万の神々と同じで
「使命」が変われば、名前もコロコロ変わる。

 

レムリアンとしては、変えなくては
「おはたらき」ができないわけです。

 

それに、夫婦別姓とは言うけれど
なんで夫婦別氏って言わないでしょうか?

 

また、普通に考えても
「苗字」とか「名字」とかかかれたりします。

 

これは、一体何がどう違うんでしょう?

 

歴史的に見ると日本人は「姓」や「氏」
に非常に寛容というか、正直かなり

テキトーな民族だったのです。

 

元々日本には、昔から「姓」「氏」
「名字」「苗字」など似たように見えながら、

 

歴史的には全く別の経緯からできる
「名前」の概念がいくつもありました。

 

しかもややこしいことに、

 

本来氏族の名称であるはずの氏(うじ)も、
本家と庶家では異なったり、
時には二重に使ったりすることもあったのです。

 

さらにさらに、ややこしいことに、
かつての日本では出世したりする度に
名前を変える習慣もありました。

 

徳川家康、幼名を竹千代。 

弘治元年(1555)年元服し
次郎三郎元信(もとのぶ)と名乗り、

永禄元(1558)年頃元康(もとやす)と改名。
永禄6(1563)年家康と改めた。

永禄9(1566)年には朝廷から
従五位下三河守に叙任され、
松平から徳川に改姓して

やっとのこと「徳川家康」になったの。

 

武士同士は役職で呼んでたし
ともかく名前はアバウトでありあがら

ひとにはカンタンの教えられないし、
ひとからカンタンに名前呼ばれたりすると
人格あやつられてしまうと信じられてた。

そのことは名前の大切さで何度も
お伝えしてきました。

これは韓国とか中国とか漢字文化のあった国が、
今ではハングルや簡易体になっていますが、
上下関係や氏育ちを表すものとして
名前を扱っていた。

名前に「使命」があることを
重要視していないで、姓名の「血族」という
バックグラウンドだけに焦点を当てています。

そこが銀河系レムリアンと違うところ。

もともと漢字の発明は大陸であっても
漢字使わなくなっていく進化を遂げた。

一方、必要に迫られて取り入れたニッポンで

漢字は「言霊」「文字霊」そして
「音霊」「コトタマ」として
ずっと使われ続けているのが「証拠」
だと考えられます。