アニメ『キングダム』にみる、プラズマパワーの持ち主「嬴政」

アニメ『キングダム』にみる、プラズマパワーの持ち主「嬴政」

アニメ『キングダム』にみる、プラズマパワーの持ち主「嬴政」

このところアニメ『キングダム』に
ハマりにハマっているわけですが、

主人公「嬴政」について、
どのぐらいスゴ運か?も
お伝えしたい。

首都陥落するかどうか
崖っぷちで呂不韋と論戦を
繰り広げる、秦王の「嬴政」

呂不韋は人間の本質は
「金、カネ、カネさ!」に対して、

「人間の本質は光だっ!」って言い切っているの!

それで量子力学のフォトンのごとく
「嬴政」の周りを紫の光の玉が
飛びまくっているんだけど、

これってズバリ量子力学的な説明だよね!
銀河系宇宙のブラックホールから
光のプラズマが放射されていて
そのなかに包み込まれている。

 

さて、

「金がすべて」の呂不韋に対して、
人間の本質は「光」と言い切っています。

命の「光」をみんながそれぞれ前向きに
それぞれの方法で
育てていくしかないんだ!といってます。

では、「嬴政」のお名前、拝見しましょうか?

嬴政って、

始皇帝(紀元前259年2月18日 – 紀元前210年9月10日)は、中国の初代皇帝(在位:紀元前221年 – 紀元前210年)。古代中国の戦国時代の秦の第31代君主(在位:紀元前247年 – 紀元前210年)。6代目の王(在位:紀元前247年 – 紀元前221年)。

姓は嬴、または趙、氏は趙、
諱は政または正。

嬴 嬴 (姓)(中国語版) – 上古八大姓の一つ。動物の象形。[説文解字]では獣の名とし、その他にも蠃ラ(螺ラ・にし)の初文で「巻貝」とする説もあるが、甲骨文では細長い胴体が表現されており、また頭部に虍(トラ)のような形を用いたものや多足の象形。

字源はムカデのような「噛みつく節足動物」と思われる。甲骨文字辞典から。金文は中央の頭の下方に月(にく)が付加された形をへて、篆文で上部が亡+口、下が月+丮となり、𦝠になっているが、卂の部分が丮や凡になっている字も同字

趙 中国、戦国時代の国。戦国七雄の一。晋の大夫の趙氏が韓氏・魏氏とともに晋を滅ぼし、その領土を3分して独立。前403年、諸侯に列せられ、現在の山西省北部、河北省東部を領有。都は晋陽、のち邯鄲  。武霊王の時に最も栄えたが、前222年、秦に滅ぼされた。日本じゃ、およぶ、 こえる、 すばしこいってことらしい。

 民を導いて正道につかせる。国家をおさめる。まつりごと。すべて物事を筋道を立ててよくととのえる。破字すると「正」と「支」「文」強制してただすイメージは政治そのもの。「正」は 真っ直ぐに進む。

性格

・理不尽を理解・追及するため、幼少時は自分を閉じ込めがち。
・ムカデのように「対」であろうとする。
・思考を好むが、じつは武術派で力で解決をいとわない。
・噛みついたら死んでも離さない強靭な顎、と形容できる粘着質

長所

ともかく王様として、どんなことがあっても中華統一する「強運」の持ち主。統一までは手段を選ばず、その後で戦争をなくす、というプーチンさんタイプ。プーチンさんと同様に、頭脳明晰、プレゼン能力はジョブズ並み。意志は強固でハイリスク・ハイリターンを求める。

短所

自分を守るためにはほら貝のように積極的に「閉じる」こともいとわない。ウソをつくのが嫌いなので「無口で愛想のない人」キャラになるしかない。

適職

政治家 王様 教皇 人の下で働くことは苦手 ワンマン社長

ここで「うへぇぇ」の情報が出てきたんで、
ちょっと引用。

始皇帝「政」のお父さんは、
荘襄王(そうじょうおう)という
王様だったことになっています。

しかし、実は呂不韋(りょふい)
という大臣が荘襄王の王妃に
産ませた子どもだった、という
「まことしやかな伝説」もあります。

生まれたときから、人質で他国で育ち
家康と同じぐらい
政界の波に揉まれまくっていた

始皇帝の生涯を、「政」という名前は象徴しているのかもしれませんね。

昨日観た時にも、呂不韋の
「大きくなられましたなあ」という一言も
政にプレッシャーを与えるために
「俺は父親かもしれんのだぞ」という
意味深な「口調」だった。

それなら、
息子で野望が果たせるわけだから、
呂不韋だって応援すればいいものを、

「自分が王様になりたい」という
野望があって妥協できないから
「金こそパワー」というキャラなの。

王様っていうのは、
王国を守るために
何でもしなきゃいけないけれど、

そのために命懸けで働いてくれる
「その他大勢の人」に
愛されなきゃいけない。

そのうえ、恐れられなきゃいけない、
両極端のキャラをバランスよく持つ

「政」があったからこそ、レムリア的だと
お見受けいたしました。

参考:Wikiから。
秦王に即位した後、勢力を拡大し他の諸国を次々と攻め滅ぼして、紀元前221年に中国史上初めて天下統一を果たした(秦の統一戦争)。統一後、王の称号から歴史上最初となる新たな称号「皇帝」に改め、その始めとして「始皇帝」と号した。

治政としては重臣の李斯らとともに主要経済活動や政治改革を実行した。統一前の秦に引き続き法律の厳格な運用を秦国全土・全軍統治の根本とするとともに、従来の配下の一族等に領地を与えて領主が世襲して統治する封建制から、中央政権が任命・派遣する官僚が治める郡県制への地方統治の全国的な転換を行い、中央集権・官僚統治制度の確立を図ったほか、国家単位での貨幣や計量単位の統一、道路整備・交通規則の制定などを行った。

万里の長城の整備・増設や、等身大の兵馬俑で知られる秦始皇帝陵の造営といった世界遺産として後世に残ることになった大事業も行った。法家を重用して法による統治を敷き、批判する儒家・方士の弾圧や書物の規制を行った焚書坑儒でも知られる。
統一後に何度か各地を旅して長距離を廻ることもしており、紀元前210年に旅の途中で49歳(数え年だと50歳)で急死するまで、秦に君臨した。