5歳で即位「使い捨て」俺は祟ってやるからな!

5歳で即位「使い捨て」俺は祟ってやるからな!

5歳で天皇にされて「使い捨て」オレは祟ってやるからな!

崇徳天皇(1119~1164年)は、
平安時代末期に5歳で即位しました。

この頃は、退位した上皇の方が
天皇よりも権力を持っており、
実際の政治は父親の鳥羽上皇が
行っていました。

しかし、崇徳天皇は鳥羽上皇の
実の息子ではないという噂があり、
疎まれていたのです。

そのため、
自分の息子を天皇にすることも許されず、
上皇となった後も政治に関われなかった。

ついには、同じように政権に不満があった
貴族や武士と手を組んで、

武力で弟の後白河天皇から権力を奪おうと反乱を起こします。

しかし失敗して讃岐国(現在の香川県)へ
流罪になり、許されることなく
8年後に亡くなりました。

崇徳上皇は、謝罪と反省を込めて
経典を書写し、
都の近くに奉納してほしいと
後白河天皇に送りましたが、
突き返されてしまいます。

この仕打ちを深く恨み、

「日本一の大魔縁=厄災の神様々な災厄を引き起こす天狗」

となって復讐すると誓い、
以後、髪も爪も切らず
異様な姿で亡くなったと伝わります。

 

その後、後白河天皇の周囲の人が
次々と死亡し、天皇自身も病気になり、
大火事が発生するなどの
災厄が続いて起こりました。

そこで、崇徳上皇の怨霊を鎮めるため、
讃岐国や京都に社を建てて
神として祀ったのです。

「百人一首」には崇徳天皇の「恋愛」の歌が
取り上げられています。

瀬を早み 岩にせかるる 瀧川の われてもすえに あはむとぞ思ふ

※現代語だと、
岩にせき止められた川の瀬の急流が、
ふたつに別れても、また合流するように、
愛しいあなたと今は離ればなれになっていて
会えなくても、いつか必ず再会しましょう

という実に情熱的でピュアな恋の歌です。

しかし崇徳天皇のバックボーンを知ると、
これは本当に「恋の歌」だったのか?と
思いますよね。

本当は恋の歌ではなく、京への執念の歌?

崇徳院は、
大変な不遇の生涯を送った天皇でした。

自分の舌を噛み切った血で
呪いの言葉を記し、
爪も髪も伸ばし続けて

妖怪のような姿で亡くなった廃帝が
詠んだ歌なのです。

父である鳥羽上皇から疎んじられ、
早くに譲位を迫られ、

後に反乱を起こすも敗れて讃岐へ流され、
二度と京の地を踏むことなく
「恨みをのんで」亡くなった天皇です。

崇徳天皇ゆかりの縁切り神社

崇徳天皇を祀る神社は、
「こんぴらさん」と呼ばれる
香川県の金刀比羅宮、

京都府の白峯神宮や
安井金比羅宮などがあります。

そのうち、安井金比羅宮は、
崇徳天皇に寵愛されていた女性が、
崇徳天皇の生前
愛でていた藤があった場所に

お堂を建てて菩提を弔ったのが
始まりだと言われています。

この世への一切の未練を断ち切って
亡くなったとされる崇徳天皇に由来し、

とは思えないけれど、神様になると
そこは忖度されるのか?

悪縁を切って良縁を結んでくれる、
全国的にも珍しい「縁切り」
ご利益がある神社として有名です。