今のご時世「夢」なんか持ってられるか、名古屋嬢!

今のご時世「夢」なんか持ってられるか、名古屋嬢!

今のご時世「夢」なんか持ってられるか、名古屋嬢!

 

この何ヶ月かに渡るコロナ自粛、だんだん飽きてきた。

とくに高齢の母にとっては、見えないコロナはどうでもいい。

 

ただ、誰もどこかに何かをしに行こうと誘ってもらえないのが気に食わない。

家にいるのが辛いのはわかる、でも仕方ないんだよ、というのは理解できない。

 

生きる力が落ちて来たのか、全てが投げやりになって来た。

親が生き生きと生きていないと家族は大変。

不平不満のマシンガントーク、なんとか止めてもらえないものか?

 

親の介護で「夢」や「希望」から遠ざかっていませんか?

 

 

 

 

実写版『キングダム』を見て主人公「信」の繰り返す

「夢があるから」の連発に気恥ずかしさを覚えながらも

「青くて、若くて、熱くて」イイな、と思ったりしました。

 

こう思った時点ですでに「私、自分で年寄り認めてる」わけ。

 

そのぐらい、この夏の暑さで外出しなかったことが

生きるエネルギーを知らない間に消耗してたんじゃないの?

と「信」のように熱く生きることに向かわなくちゃ!と思いました。

 

 

 

両親の介護してると「外出自粛」を理解してもらえないで辛い。

 

「みんな大変なんだよ!

別に誰もあなたのこと忘れてないし、除け者にしてないの!

何か1人でも楽しめること見つけて!」

 

これは母に向けても思う以上に、自分に対してもそう思う。

 

『キングダム』の信のセリフ「夢があるから」は、

熱くて、若くて、強く命を感じさせてくれた。

母に観せてあげれたらいいのになぁ。

 

結局、私にとっては「母」が重たいし、かといって捨てれない。

 

自分では「もう、できることやるだけ」と決めていても

毎日「不平不満」を聞き流すだけでも消耗する。

 

 

「夢」とか「希望」とかいうと自分のブラックが出てくる!

 

 

だってソレは「アフター・コロナ」みたいに

「アフター・介護生活」を想定すると、になっちゃうんだもの!

 

でも、心でわかってるの。

今、母を喜ばせてあげときたい!って。

 

罪悪感とかじゃなくて、誰でもそうだと思うけど

「ちょっとでも助けになれたら」という「ささやかな」愛なの。

 

いつも憎たらしいこと言って困らせる母だけど

「淋しい年寄り」になって欲しくない。

 

 

そんなぐらいならイッソ「意地悪ばあさん」で戦意マンマンの方が

私の母には似合っているから。

 

「こんなにツライけど、そのうち笑い話になるんだよね!」と

自分に言い聞かせて「名古屋嬢」は今日もいく!

 

 

世界的なスピリチュアル・リーダーであったルイーズ・ヘイをご存知ですか?

 

彼女はヴィモラ・ロジャースの” Your Handwriting Can Change Your Life”を

読んで「筆跡」を変えたとまで言っています。

古今東西「書くこと」の重要性は何度も言われてきています。

ただ、本当に取り組んでやる方が少ないんですね。

 

私は「書くこと」だけでは勿体ない!

筆相を変えて書けるようになれば「なお良し!」と考えています。

 

ゑびす文字の最初では、自分の気持ちを大きくするために

一字を大きく書きます。

 

どなたにも使える一番大事な共通の書き方として

大きく書こう!があるんです。

 

だからデカ字が一番大事!

紙は人生のステージ!

 

 

お名前の取説をしていると、時々

「どうして大きく書かなきゃいけないんですか?」

と質問されます。

ドーンと自分の人生の主役は私なんだって決めて欲しいから!

今日は「夢があるから」と書きましたが、夢がなくてもイイの。

 

書いてみると「夢」を思いつかなくては!と脳が探し始める。

何かしたいな、という小さなことを見つける糸口になりますから。