誰も知らない○○を取り除く「書く瞑想」の秘密!

誰も知らない○○を取り除く「書く瞑想」の秘密!

誰も知らない○○を取り除く「書く瞑想」の秘密!

 

写経で一字一字間違えないように、
目と手を動かす作業は
かなり神経を使うものです。

写経には、このように高い集中力が
求めらるため、大脳の前頭前野が
活性化すると考えられています。

写経の効果は意外かもしれませんが、
効果はオセロよりも高いといわれます。

私はといえば父亡き後、2週間。
母のことは、いつも頭のどこかにあって、
電話が鳴ると病院か?警察か?
それとも母か?ととっさに思うの。

それで、電話が鳴った一瞬に即
「イヤだな」「困ったな」
という気持ちがパッと湧く。

スケジュールを
捻じ曲げられることに対する嫌悪感。

また、些細なことで大げさに
騒ぎだてるだろうという無力感。

1時間で終わる用事かしら?という
時間を奪われることに対する怒り。



電話が鳴るとどうして
良いことを連想できないのか?

深く突き詰めるとすべてが「恐れ」。



でも誰にも
大なり小なり恐れはあるよね?

敵を恐れる人
見方を恐れる人、
貧乏を恐れる人、
病気を恐れる人、
不安を恐れる人、
コミュニケーションを恐れる人、

安定を恐れる人、
動物を恐れる人、
社員を恐れる人、
社長を恐れる人、

孤独を恐れる人
喧嘩を恐れる人
対立を恐れる人
幸せになることを恐れる人。

 

など、いくらでも
「恐れ」はどこにでも転がっています。

 

そして恐れは人を萎縮させます。

私なんてその典型。

自分でコントロールができないから
余計にビビる。

恐れがあるから「萎縮」しちゃって、
母の前では「青菜に塩」になってしまう。
逆らうこと自体が怖いわけですから。

それに勇気を出して反論すると
火に油を注ぐ大事件になっちゃう。

 

「アンタに頼んだ洗剤、違ってたじゃない!私はあれじゃ匂いが受け付けないの!それからお風呂の洗剤はAgって書いてないのはダメなのよ、普通のじゃダメなの!」

という具合に延々と続く。
命にかかわるようなことではないような
些細な事ばかりでね。

これが四六時中いつ起こるかわからない。
時には絶叫して

「もう、歩けないのよ!痛くてたまらないの!どうしたらいいの!直に来て!」

という別ヴァージョンもあり。
これを聞くと
「放って置けない」と思い込んで、
すぐに駆け付けてしまう。

「恐れ=何を自分が弱点としているかに気づく」こと

 

から始めて
「脳内の親を育てなおす」作業で
「それは私の思い違い」

「実は親は私以上に
見捨てられることを恐れている」
っていう相互に「相手が怖い」
というのがあぶり出されました。

どっちも無意識にお互いに

 

「怖い」なら少し物理的に距離を置く。

 

電話なら出ないで「留守電」に
吹き込む内容で判断して
急用なら「途中で出る」
そうでなかったら
10分ぐらいして折り返す。

 

この10分は実は
「相手が冷静になる時間」でも
あるのですが、母の場合は
私が出なかったら、留守いれて、
次はすぐ「妹、友人」にかけるので
30分ぐらい繋がらないことザラ。(笑)

長々内輪の話をしましたが

「なにについて恐れ」ているかに気づくと恐れは65%片付きます。

写経は「恐れ」を
取り除くことにも効果抜群なんです。

世に名前を知られる哲学者、
作家、芸術家、学者、経済人の多くが
「般若心経」を書いています。

スティーブン・ジョブスもね。

文言以上に

「苦悩を和らげる文字靈=言霊」があるからです。

 

自分の中の内なる苦悩が深い
と思われる経済人や学者が
「瞑想」「マントラ」「曼荼羅」
「般若心経」を取り入れている
ことは良く知られるところです。

そして「般若心経」を最終的に
「宇宙の智慧と強力なマントラ」
と解釈しています。

「写経」という「認知行動」は
強烈なエネルギーでもって
ダイレクトに脳に高次の波動
「宇宙の英知」を注ぎ込むことができます。

 

 

「恐れ」の正体を見極める!

 「不老不死」「不苦」の世界が繰り広げられる般若心経。

 

思考が自分を作っていると
勘違いしている限り
平安が訪れることはありません。

私は怒っている、私は悲しい、
と思う代わりに
怒りの情報が横切っていたり
悲しみの情報が横切っている中に、
視点を変える練習として

 

正しく見る=照見が本当の姿=「空」の概念です。

だからこそ深く
「頭を空っぽにする」瞑想になるの。

般若心経を書く。
書いてみてわかるディープな「瞑想」状

自分自身が宇宙と一体、
宇宙エネルギーの一部として
調和して「今ここ」にある実感。

それこそが
私たちの心や体にこびりついてきた
「さまざまな捉われの恐怖」を祓い落とし

 

「浄化」して「運」を受け取る準備をすることに他ならないのです。

 

いくら説明しても
「やらない」ことには、素晴らしい
「書く瞑想」体験は得られません。

ともかく、般若心経を書く。

書いてわかるディープな「瞑想」状態を体験してみてね。