罫線なしの「桜」の料紙に般若心経。

罫線なしの「桜」の料紙に般若心経。

今年は暖かくて桜の季節が早かったですね。

あっという間に新学期、桜は四月の初旬に終わってしまいました。

 

季節の料紙ではありますが「遅れ」て使うこと残念です。

今回はDr.苫米地版の般若心経を書きました。

般若心経を詩として意味が通るように「空」や「无」

をDr.苫米地が添削しちゃった!というものです。

 

 

桜の上にも文字を書いてしまったので

せっかくの料紙も今一つ活かせなかったです。

私は3月後半に上京して渋谷のExcel東急に泊まったのですが

渋谷で精神的にケッコウ参ってしまいました。

21階に泊まったのですが、なんと窓の外を

コンビニビニール袋が飛んでいて

普段田舎暮らしですので「恐ろしや」と

思ってしまいました。

ベッドは快適なセミダブルでゆっくり眠れるはずが

渋谷のスクランブル交差点での太鼓の音が一晩中響き

 

「日本人にはマスクは必要ない!」

「日本人はコロナに対して免疫がある!」という

内容のシュプレヒコール?というか集会の声が聞こえ

全く非科学的な論にイライラしてしまいました。

 

上からスクランブル交差点を見ていると人間が小さくって

それぞれの「個」はないなぁと漠然と感じてしまいました。

 

それよりも同じ方向に「集団」で移動する様をみていると

魚の群れがパッと向きを変えて動いているのを見るような

錯覚を覚えました。

バラバラなのに統制が取れているような不思議な感覚。

人間たちという「集合体」を見るような高所からの情景。

 

俯瞰するというのではなく「あぁ私も人間なんだなぁ」

という当たり前のことが事実として目の前に見えただけです。

だけどなんだか「怖い」とも思いました。

自分では気がつかないけれど高所恐怖症かもしれません・

 

我が家に戻って東京で感じた「なんだか都会は怖い」という

漠然とした気持ちがスッキリせずダラダラしてしまいました。

 

コロナは4月に入ってから感染者が増え

聖火リレーも無観客などお祭りムードはありません。

オリンピックについては競技者の方は1年以上待ち

ずいぶん辛い期間を過ごされていると拝察いたします。

 

開催されるとしても今までのような「祭典」としての

オリンピックは望めないと思っています。

本当に世の中が変わってしまい、混乱するような

情報だけが洪水のように押し寄せてきていると感じます。

 

2週間も写経をする気持ちになれなかったけれど

書けばそれだけの落ち着きが取り戻せたと実感しました。

 

この世の事象は「空」ならば、その「空」のなかで

自分はどんな生き方をしていけばいいのか?と考えます。

 

「静か」に感情を見つめることができて良かったです。