ネクラとネアカ、どっちだってかまわない。

ネクラとネアカ、どっちだってかまわない。

今日の一言はゴッホ

 

「虫だって光の好きなのと嫌いなのと二通りあるんだ。

人間だって同じだよ。皆がみな明るいなんて不自然さ」

原田マハの『たゆたえども沈ます』はゴッホの物語。

その中でゴッホは本当に暗い印象だった。
登場人物に強烈に明るいピカソや

ゴーギャンがいたりして対照的だった。

確かに皆が皆明るいなんて不自然。
暗くて有名な人多いよね?

今朝はなんとなくそう思った。

大人としては不機嫌を人に見せないように。

それは暗いんじゃなくてバッド インフルエンサー。
小池一夫だって言ってる「不機嫌は暴力。」

暗いって分類に入るより

落ち着いていて控えめな印象を
ばら撒けたらいいなぁ。
みんな明るい時と暗い時のふり幅って
同じぐらいですよね?振り子みたいに、どちらにも同じように振ってる。
だから人前でサービス精神旺盛で
明るい太陽のような「明るい人」を演出できる人エライ

でも脳科学とか心理学的には

じつは明るいほうと暗いほうのどちらにも
振り子みたいに、同じように振ってるらしいです。

これは「ゴッホの耳切事件」
この事件を聞いて弟のテオが慌てて
アルルに電車ですっ飛んでいくのね。

 

で、現地についてから「耳たぶ」ちょっと
切り落としただけって医者から聞くの。

 

 

その時のテオの気持ちって言ったら
マハさんが書いている以上にわかる。

 

 

もう、こんな兄さんに人生振り回されるのは
真っ平だっていう気持ち。

 

こんな狂言のようなことを起こすなら
本当に死んでもらった方が楽なんだよ。という内心。

 

 

でも小説だからこそ共感できる切ない兄弟愛なの。

 

 

 

共依存関係だって読者はわかっていても切ないの。
「憎いわけじゃない、死んでほしいわけじゃない。

 

けど兄さんは本当に困った人だよ!
ただ才能だけは僕だってわかってる、早すぎた天才だってね」

 

という兄に対する尊敬の気持ちはあるけれど

本当に経済的にも社会的にも

ヴィンセントは重過ぎるお荷物。

 

 

だけどテオのかばんに入っていたピストルで

自殺して、死ぬまでに3晩くらいあって
自殺だから教会で葬式もしてもらえず、

本当に「なんだかなぁ」と暗くなってしまう小説。

 

ヴィンセントの死後はテオが精神的にダメになって

衰弱死しちゃうんだけど、哀れな兄弟と思う。

 

だけどヴィンセントもテオも支える弟と
社会的不適合者の兄という

泥沼の「共依存」

 

本人たちにも「どうしようもない」関係ってあるよね?

 

家族ってそのぐらい重くて振り切れないものよね!

 

ゴッホの言葉

「虫だって光の好きなのと嫌いなのと二通りあるんだ。

人間だって同じだよ。皆がみな明るいなんて不自然さ」

ともかく、ネクラだっていいからご飯食べて寝るべし!

老々介護に振り回される私は思うのであった。