自分の好きな「名字」をつけることができたって、ホント?

自分の好きな「名字」をつけることができたって、ホント?

自分の好きな「名字」をつけることができたってホント?

 

このところ名前のことで
気になったことがあったので
1つお伝えします。

 

数え方によって諸説ありますが、
日本には10万~20万種類の名字が
あると言われています。

 

なぜ、これほどまでに多彩な名字があるのか?

 

日本は
明治維新とともに四民平等となって、
庶民がはじめて姓を名乗ることを
許されたんでしたよね?

 

ここで、区別しておかなくちゃ
ならないのが・・・

 

苗字=名字と姓は別物!ってこと。

 

その昔は、自分で好きに
名字をつけることができたの。

 

いまでこそ
『姓』と『名字』という言葉は
いっしょくたに使われていますが、
元は別のものだったの。

 

 

姓は天皇から賜り、
勝手に変えられないものだったのに対し、

 

名字は誰でも自由に名乗れるものだった。

 

だから、数が20万ぐらいまで増えちゃった。

 

↑↑齋藤ひとりさんお千社札?
ほかの10倍デカっ!徳島一宮の画像
そこで

 

画数の少ないお名前の方にありがちな
「私って平凡すぎ?」とか
「並以下な人生ですよね?」っていう
強烈な思い込み。

 

があったりするの!

 

 

それもなんと小学校で漢字覚えた途端に
クラスの子に
「馬鹿にされた」記憶にまで遡るの。

 

 

私からみたら「代」「花」「和」「道」
「好」「友」はとても深い意味があって
素晴らしい名前の字だと思います。

 

 

簡単な字だから

「親の教養がない」とか
「親がどうでもいいと思ってつけた名前」
とか「貧乏な名前」とかって
トンデモナイ暴言ですよ!

 

でもね、

名前だからこそ「たった一度の蔑み」にも
深く深く傷ついちゃうの。

 

 

名前と魂が直結してるからグッサリ
刺さった棘のある言葉で傷ついてしまう。

 

 

わかります、
そのことよーくわかります。

 

 

女性は画数が少ないシンプルな名前だと
「意地悪な人/自分を嫌っている人」に
「名前」を攻撃されると潜在意識に
トラウマになってしまいやすいの。

 

だって名前は変えられないから。

 

これって、実は
名前物語では「あるある」な悩みなの。

私、自分の名前が嫌いなんです・・・
って、

 

名前コンプレックス、驚くほど「あるある」なの。