あの世は名前がなきゃ迷子になっちゃうらしい。

 あの世は名前がなきゃ迷子になっちゃうらしい。

あの世でも、名前がないと迷子になっちゃうらしい。

父の戒名、「久燈院釋光正」
名前ってすごいものだなぁ!

 

名前の大切さを、
いつも書いている私ですが

喪主となるのは、初めての経験。
右も左もわからないことだらけ。

 

「釋」と「釈」はどちらも
「しゃく」と読みます。

 

「釋」は常用漢字で、
略した書き方(新字体)が
「釈」となります。

 

そのため、一般的にどちらを
用いても良いとされていますが

 

浄土真宗の本山の
「帰敬式(おかみそり)」で
授かる法名(ほうみょう)には
「釋」が用いられます。

 

釋(釈)は、
お釈迦様(釈尊)の弟子と
いう意味になります。

 

法名の一番上に「釋」の
文字が入ることで、

お釈迦様の弟子(仏弟子)ということになるそうです。

 

仏弟子になるための
「おかみそり」の儀式の
髪を剃るという形の真似、

 

キラキラの立派なカミソリで
棺の上からですが、父の頭の
左右から真ん中へと「剃る」
その、お坊様の真剣で優しい
手の動きに感動したしました!

 

法名は
浄土真宗独自のものだそうで、
他の宗派にはないそうです。

 

法名のつけ方として、
男性は「釈xx」、
女性は「釈尼xx」と
されていた時期もありましたが、

 

現在は

 

男女の区別は無く、「釋+2字」とされているそうです。

 

父の場合は本名が「光正」なので
そのままで読み方が
ミツマサからコウショウという
音読みになるそうです。

 

あの世では、仏弟子として
別人になるのか?と
思っていたので、お寺様の
ご配慮とお気遣いが
身に沁みました。

 

 

基本的に法名は3文字と
されていますが、法名の上に
院号と言う院の文字の上に
2文字を付け、「△△院釈xx」
とする事もあるそうです。

 

 

院号も以前は、
男性は「△△院釈xx」、
女性は「△△院釈尼xx」と
されていたようですが、

 

 

この頃は、男女区別せずに
「△△院釈xx」とされたりする
こともあるそうです。

 

 

元来、

 

 

院号は法名や戒名の中に
「院」の文字が使われたもの
をいい、天皇をはじめとする
皇族や将軍家の
戒名に用いられていました。

 

 

本来、院号は、生前にどれだけ
寺院に尽くしたかによって
与えられるものでした。

 

 

しかし、現在、院号を
与えられるためには、
菩提寺である寺院から本山への
申請が必要で、法名や戒名を
頂くよりも多めのお布施が
必要となるそうです。

 

 

戒名とは、仏弟子となった証として与えられる名前です。

 

つまり、
「戒名=仏門に入ったことを
意味する名前」なんですって。

 

 

信心熱心でもなかった父が
仮初めとはいえ、
髪を剃ったことにして
仏弟子になるなんて・・・
想像だにしてなかったわ。

 

 

戒名って死んだらいただくもの
と思っていたけれど、
本来は生前に仏弟子になって
与えられるものだそうです。

 

 

元々は、出家者にだけに
戒名を与えられていました。

 

 

しかし、出家していない人でも
迷いなく極楽浄土に行けるように、
現世の名前ではなく「戒名」を
付けるようになったそうです。

 

つまり、あの世にいくには「名前」がなくてはならない。

 

「持ってくもの」=「名前」
なんですね!

 

戒名は、原則として
菩提寺の住職から授かることが
特徴です。

 

 

他の僧侶による戒名は、
菩提寺から拒否されることも
少なくありません。

 

与えられた戒名は、
位牌や墓石に刻まれるだけでなく、
葬儀や年忌法要で
お経を唱えてもらう際に
読み上げられることもあります。

 

父の「久燈院」って、ずーっと
灯台のように灯を
灯してくれるような名前で、

 

父は、あの世でも足元が
明るく、迷子にならずに
行けるんじゃないかと
勝手に思っています。

 

「久」は「久遠(くおん)・永久・
長久・恒久・持久・耐久・悠久」

 

「燈」という字は常用漢字では
ないため、固有名詞以外では
一般的に使用されません。

 

「燈」の意味は、主に
「火」「ともしび」です。
火は周囲を照らすことから
「あかり」の意味もあります。

 

本名をそのままに使い、
そのうえ、このような
立派な戒名をお授けいただき
心から感謝いたしております。

 

あの世でも、明かりをともして
母が行ったときに、パッと

 

母は「早く迎えに来て~っ」と絶叫していましたから・・・・