弟殺しで婿殺しは、景行天皇の「国家統一」のための見せしめ

弟殺しで婿殺しは、景行天皇の「国家統一」のための見せしめ

弟殺しと婿殺しは景行天皇の「国家統一」作りのための見せしめ

さて、金神社のご祭神の
渟熨斗姫命(ぬのしひめのみこと)が、
夫に汚名を着せて殺した父親の景行天皇の

 

女好きを暴露!

 

 

 

妃や皇后にも前期と後期がある!うへぇぇぇ。

 

この前期というのは、即位前の皇太子さまの時のことみたい。(笑)

 

その前に長くなりそうなので、
先に渟熨斗姫命のお母さんについて調べると、
他のところには、美濃出身とあったの。

金神社のご祭神となった渟熨斗姫命はもともと、
岐阜にゆかりがあったんです。

だから、岐阜の発展にも資材を投じて
一生懸命尽力しています。

 

 

八坂入媛命(やさかいりびめのみこと、生没年不詳)は、景行天皇の皇后。古事記には八尺之入日売命(やさかのいりひめのみこと)とある。父は八坂入彦命(崇神天皇の皇子)で、母は未詳。成務天皇・五百城入彦皇子ら七男六女の母。景行天皇4年2月21日、景行天皇の妃となった。元々天皇に見初められたのは同母妹の弟媛であったが、固辞した彼女に推薦されて入内に至ったと伝えられる。同52年5月4日に当初皇后だった播磨稲日大郎姫が崩御したことを受け、同年7月7日に新たな皇后に立てられた。成務天皇2年11月10日、皇太后となった。Wikiから。

 

 

渟熨斗姫命のお母さんの八坂入媛命は、
先に妹が見初められ、固辞して姉を推薦。

 

天皇とか皇太子に見初められたら
断れないのか?とも思ったりしました。

 

娘が入内するとなれば、一族は優遇されるし、
きっと親の計らいでもあったでしょうね。

 

一族の期待を背負っての結婚、とはいえ
八坂入媛命、その役目を
立派に果たしたと言えるでしょう。

 

なにしろ七男七女の母となったってことは、
毎年ポコポコお子様誕生ってわけ!

 

14人も生むなんて、
ビッグママも良いところですよね!

 

まぁ、景行天皇がマメだったということにしておきましょう。

 

いやぁ、そんな生易しいもんじゃないな!

 

私は子供をジャンジャン作って
日本全土に分散して、
統治させたんだと思ってます。

 

子供がいれば、
謀反なんかなかなかできないし、
子供たちだって天皇にたてついたら
即「死刑」だから、必死でしたでしょう。

 

渟熨斗姫命の婿に、
弟の五十瓊敷入彦命を当てがって、
奥州征伐を命令して、成功した暁に待っていたのは
「死刑」それもリンチ!

 

そういう事実作っておけば、
その後は誰もわが身可愛さのあまり、
忍従するしかないわけだものね!

 

弟殺しと婿殺しは、そういう意味で先例となったはず。

 

弟殺し、婿殺しっていうのは
インパクト強すぎて「身内だって死刑だぞ!」という
見せしめにできたんですね。

 

渟熨斗姫命は、
兄でもある乱暴者の「ヤマトタケル」が遠ざけられて、
戦三昧で死んだことも知っている。

 

天皇である父親のいる「都」にいたら、
自分だって「謀反人の妻」として、
殺されちゃうと

 

逃げ出したんだともいえそうですよね。