秦氏=ユダヤ説と八幡様ってどういう関係?

秦氏=ユダヤ説と八幡様ってどういう関係?

秦氏=ユダヤ説と八幡様ってどういう関係?

秦氏とユダヤ教・イスラエルの関係で、
もう一つ興味深いのは、

 

秦氏の根拠地となった山背国(山城)の
太秦に秦河勝が建てた氏寺
広隆寺があり、

 

それに隣接してある秦氏ゆかりの通称
「蚕の社」
木嶋坐天照御魂神社
(このしまにますあまてるみたま)境内の
湧水「元糺の池」のなかに建つ

「三柱鳥居」(みはしらとりい)の三角形が

ユダヤ教やユダヤ民族のシンボルである「ダビデの星」に同じ

で、

しかもその三角形は広隆寺を中心に
東南東の稲荷山(伏見稲荷大社)
西南の松尾山(松尾大社)
そして北の双ヶ丘を指しているという説がある。

この三所はいずれも秦氏の重要な聖地である

豊前の「秦王国」と水銀鉱脈

 

秦氏の祖先はおそらく、
九州の筑前(那ノ津、今の博多)から
入ったと考えられている。

『隋書』倭国伝にいわれる「秦王国」
(豊前:福岡県南部から大分県が有力)は
最初に秦氏が定住していた地にちがいない。

 

そこにはまた、
中央構造線に沿うかたちで
水銀の鉱脈が走っていて、
同じ頃丹生氏も肥前からこの地に
移住してきていたといわれている。

 

この「秦王国」にはまた、八幡神や弥勒や
虚空蔵の信仰など、新羅に発する
諸信仰の足跡がはっきりとある。

 

その後、秦氏の一団は、
四国の伊予・讃岐、
中国の長門・周防・安芸・備前・播磨・
摂津を経て畿内に入り、
河内から山背(山城)に至って
太秦に本拠を構え、

さらに北陸の越前・越中や
東海の尾張・伊勢・美濃、
そして東国の上野・下野から
出羽にまで進出した。

そのうち讃岐では、

 

空海の出自である佐伯氏領する多度郡真野(まんの)の東方

 

中讃地域に居住した。

この地は、空海の時代にはすでに
水田開発に条里制が採り入れられていた。

これもヤマト王権の時代に
この地に定着した
秦氏の農業技術がもたらしたものであろう。

讃岐平野は秦氏の潅漑技術、
とりわけ農業用水を池に溜め、
それを広く田畑に引きまわす
農業土木術の恵みで古くから潤った。

讃岐佐伯氏の本家筋にあたる
佐伯直のいた播磨にも
同様の水田開発がみられる。

赤穂では製塩や船による交易が
秦氏によってはじめられたという。

この讃岐の秦氏からは、
空海の弟子で
太秦広隆寺の中興となった道昌や、
東寺の長者や仁和寺の別当などを歴任し
空海のために弘法大師の号を奏上した
観賢が出ている(観賢は大伴氏という説もある)

秦氏の神「八幡神」

空海の母の「阿古屋あこや」を
「玉依(たまより)姫」と呼ばれることに
抵抗を覚えるのは私だけだろうか?

「玉依(タマヨリ)」は神様の名前で、
・玉依毘売命・玉依日売命タマヨリヒメノミコト
・活玉依毘売命イキタマヨリヒメノミコト

であり、海神(ワタツミノカミ)の娘
・豊玉姫命(トヨタマノヒメノミコト)
の妹である。

吉野の水分(みくまり)神社や
京都の下鴨神社は祭神として
この「玉依(姫)」を祀っている。

また「タマヨリ」は、
「霊依(タマヨリ)」であり、
憑依」「魂憑」、すなわち
神霊神威が依り憑くこと。

「ヒメ」はその依り憑く巫女、
あるいは乙女の意味である。

さらに「玉依(姫)」には子供を産む
女性特有の能力が強く反映されている。

 

神話の「海幸彦・山幸彦」に出てくる
綿津見大神(海神、ワタツミノカミ)の娘の例は
この代表的な事例である。

 

「タマヨリ」の女性は神との婚姻による
処女懐胎によって神の子を身ごもったり、
選ばれて神の妻となったりする。

 

そのような巫女的霊能のある女性を
「玉依」と呼ぶことがある。

 

空海の母の、実家跡といわれる
今の多度津町仏母院近くの八幡社
「子宝授与」を祈願して空海を身篭った
という仏母院に空海誕生伝説まである。

 

この八幡社は、多度津町の海べりに鎮座し
応神天皇と神功皇后・比売神を祀る
熊手八幡宮の分社で、

 

熊手八幡宮はおそらくこの地一帯の
秦氏の産土神(うぶすなかみ)であった。

 

秦氏の奉ずる八幡神(やはたのかみ)は、
後に弓矢神すなわち武神・軍神となったが、

 

その原初は銅や鉄を産する神だった。

 

民俗学者柳田国男はこれを
鍛冶の神と言ったが、
熊手八幡宮の八幡神は秦氏の領有すの土地神で
お産の神(産神)であったと思われる。

 

八幡宮はみな応神天皇を主祭神とし
神功皇后(応神天皇の后)と
比売神(主祭神の娘等)をともに祀っている。

 

神功皇后が応神天皇の母であることから
母子神ともいわれる。

 

さて、そもそも秦氏が奉じた八幡神は、
八幡宮の総本社である宇佐神宮のある
大分県宇佐市は昔の豊前すなわち「秦王国」で、
渡来した秦氏の民が多く住むところであった。

 

 

ある説によれば、この土地に

秦氏系の渡来氏族辛嶋(からしま)氏があって、新羅からきてこの地の河原に住んだ

という
「香(鹿)春」(かはる、かわら)の神を奉じ、
その神とともに宇佐郡に移って定着し、

その「香春神」にヤマト王権の使いできた
大神比義(おおみわ・おおがのひぎ)が
応神天皇の霊を付与して「ヤハタの神」
=香春八幡)としたという。

香春神とは
辛国息長大姫大目命
からくにおきながおおひめおおめのみこと。

「辛国」(からくに)は加羅の国。

すなわち
加羅から渡来した神である。

辛国息長大姫大目命を祀る
香春神社(辛国息長大姫大目神社)は、
銅の産出で有名な香春岳の山麓にある。

ほかに
・忍骨命(おしほねの)
・豊比売命(とよひめのみこと)を祀る。

息長大姫大目命・忍骨命・豊比売命について
諸説あるが、ともに整合性のある説ではない。

「香春」(かはる)はもともと「カル」。

「カル」は、金属とくに銅のことである。

 

「辛嶋」(からしま)とは「日本の加羅(秦の国)」という意味にとれる。

 

それって、景教=キリスト教国ですよね?

 

その辛嶋氏の加羅の国に
ヤマト王権(蘇我馬子)の意を受けた
大神比義が派遣され、

 

渡来の神である
辛国息長大姫大目命を「ヤハタの神」
=香春八幡神へと強制変換して
日本の神様にすり替えたとも考えられる。

 

のではないでしょうか?

 

これは、空海とキリスト教が
誰にも知らない水面下で
密接に関係しているように
穿った見方ができるとも言えるでしょう。

 

明日記事を書くのが怖くなってきた(笑)