心配性+お節介で、朝顔を枯らした小学1年生。

心配性+お節介で、朝顔を枯らした小学1年生。

心配性+お節介で、朝顔を枯らした小学1年生。

朝散歩をしていて
野生の藤が咲いていて、
生命力に感動した!

 

誰が種を蒔いたっていうの?
鳥が?
でも藤に鳥が食べる実がなるの?

ある事を急に思い出したので、
猛ダッシュで帰ってきました!

 

小学校1年生の時に
理科で、朝顔の観察
というのがありましたね。

 

理科の時間に
朝顔の種をまいて、
成長記録を書いて、
夏休み前に家に持ち帰る。

 

というもの。

 

夏休みの絵日記にも
今日はいくつ朝顔が
咲いたと書いたりした
覚えがありませんか?

 

私は朝顔の花を育てられませんでした。

 

私の名前がついた
朝顔の鉢から、
芽が出てこなかったので、

土を掘って種が、
どうなっているのか見たり
また種を埋めたりを
繰り返して、とうとう
芽が出ませんでした。

 

先生がそういったケース、
種から芽が出なかった
子供のために、いく鉢か
スペアを準備していました。

 

そんなわけで、
私は芽が出た朝顔を
先生からもらい、
自分の鉢に移植して、

 

夏休み前までは、
他の子供と同じように
観察日記が書けました。

 

けれども土を何度も
掘り起こして種が
どうなっているか
確かめたい性格でしたから、

 

夏休みに
枯らしてしまうのではないかと
心配でたまりませんでした。

 

家に持って帰った植木鉢、
夏の暑さに負け
枯れてしまうのではないかと
1日に何度も水をあげたり、

 

元気がないように見えると
鉢をバケツにつけたりしました。

 

日中に水をやるなんて!要らないことばっかりしすぎ!

 

ツルが伸びれば、ちゃんと
竹の棒に巻きつくかどうか
心配で、七夕に使った紙の
コヨリで強引に竹に
結びつけたりして・・・
ツルを折ったりしました。

 

ツルは自然に巻きつくのに!

 

こんな風でしたから
夏休みが始まって
1週間もすると朝顔が
枯れてしまったのです。

 

今思うと朝顔に育って欲しくて、
咲いて欲しくて
頑張れば咲いてもらえる
と思っていたんですね。

全く本当にお馬鹿さん。

私がいつも力まないでいこう。
と言っているのは
頑張っている限りうまくいかない!

という

イタい経験をたくさんしたからです。

 

桜は水をあげなくても
毎年咲きます。

 

来年は咲かなくてもいいって、
去年言ったでしょ!
と言っても、咲きますよね?

 

自然イコール神様の力だと思って
感謝して毎年見ています。

 

 

不条理な煩悩ストレス、神様の采配を待とうじゃありませんか!

頑張らなくたっていいんだよ!
こんなにきれいに咲けるんだから。

 

と言っているように思います。

 

朝顔でもどんな花でも
芽を出す前には
必ず根を張ります。

 

そして、その根を張る過程こそが
1番大事だと言えるのです。

 

それなのに根っこが出る前に
何度も何度も、土を掘り返したり
余分なことをする。

 

これは

頑張ればできると思っているからです。

 

神様のエネルギーを
信じきっていないから
失敗しちゃうんですね。

 

また、うまくいきそうもないと
自己暗示かけて、
そのために頑張ってしまう
最悪のケース!

 

今旬の筍も、そのことを
思い出させてくれます。

 

竹は種子を見たことが
ありませんが、7年も
目を出さないそうです。

 

竹の花なんか120年に
一度しか咲かないらしい。

 

神様時間で成長するって、
こういうことなんじゃないか?

 

と思ったりもします。

 

けれども1度芽を出したら
目を見張る速さで
成長しますよね。

 

深く地面に根を張れば、
いずれ芽を出します。

 

花を咲かせたときに
つよい風が吹いても
倒れる事はありません。

 

芽が出ないときに、
今は根を張っているところだと
信じて待つことができていたら
失敗なんかしなかったと思います。

 

 

 

思い通りにならない事は
小学校1年生で
経験したにもかかわらず、

 

せっかちな性格で・・・

 

芽が出ないと土を
何度も何度も掘って
どうなってるのか?と
不安になる癖なんですね。

 

あくまでもクセなんです。

 

でも今は違います。
止めようと頑張るのを
頑張らなくても
できるようになったから。

 

止めようと頑張ることを
頑張ってしまうクセは、
潜在意識と顕在意識の
バランスが取れていないだけ。

 

潜在意識が
何もしなくてもいいと
脱力してるほうがいいよ!
と言ってくれさえすれば、
うまくいくんです。

 

神様まかせというのは
力が抜けていて
信じて待つことができる
状態のことです。

 

待つことができずに
何度も土を掘り返すような
無駄な頑張りはしないで
済ませたいものです。

 

無駄じゃない頑張り、というのは
イチローさんのような
地道な練習の頑張り。

 

自分のバットやグローブを
ピカピカに磨き上げる
頑張りのことです。

 

練習も、道具の扱いも
どちらも習慣になっている
頑張り。

 

こういう頑張りは
頑張ってるのではなくて
もっと淡々としてる。

 

目の前のことに集中しきっています。

 

そういう「磨き屋」さんタイプを
神様は応援したくてたまらないの。

 

緊張しないで
できるようになるまで
練習して、習慣化。

 

指一本も動かさず努力なしに
できるようになるのは、
空海だって無理!

 

地味なコツコツが積み重なって

実力が出せるのは
脱力しているとき。

 

脱力してるから、
実力が発揮できる。

なんだか変な説明ですが、
伝わると嬉しいです。