名古屋嬢に「不機嫌」は似合わない!いつも外面は「上機嫌」で。

名古屋嬢に「不機嫌」は似合わない!いつも外面は「上機嫌」で。

名古屋嬢に「不機嫌」は似合わない!いつも外面は「上機嫌」で。

 

今日の一言も、また『超訳ニーチェの言葉』から。

「自分の行為は世界に響いている」

以下 引用

 

自分のどんな行為も、他の行為や考え、決断などの誘引になっている。

もしくは、大きな影響を与えている。

その行為がまったく何にも影響を及ぼしていないことはない。

 

自分の行為によって起きた事柄は、いつもなんらかの仕方で

次に起きる事柄としっかり結びついているのだ。

 

遠い過去の昔の人々の行為でさえ、現在の事柄と強く弱く関連している。

すべての行為や運動は不死性なのだ。

 

そして、どんな人間のどんな小さな行為も不死だと言えるのだ。

つまり、実は私たちは永遠に生き続けているのだ。

 

『人間的な.あまりに人間的な』から。

 

 

 

最近はあまり人と関わり合いを持たないでいるような気がする。

 

けれども、私の小さな行為も何かに影響を与えているようだ。

今年は小さなことを贈りあっている。

私が趣味の手紙を出す。

先方からも温かいものが返ってくる。

グルグルと面白く楽しいことが回っている。

 

エネルギーの良い意味での循環ですよね!

 

 

今日の言葉は、最近の言葉に置き替えると、

「バタフライエフェクト」の、カオス理論にたどり着くかな?

 

身の回りのささいな出来事にもすごい影響力が潜んでいますよね?

 

例えば、不機嫌は感染るよね?上機嫌も感染るよね?

 

だったら、上機嫌でいよう。

私の感情や気分が周りに影響を与えるのなら、上機嫌でいる。

何にもしていない。

何にもできていない。

というのはただの勘違いのジレンマ。

 

 

実は昨日、父の病院に行って

2,3日の父の様子を聞くまでの待ち時間は2時間オーバー。

 

お盆明けとあって、待合室は立錐の余地もないほど。

 

体の痛みのある方もいらしたはずだが、皆さん席を譲り合っていた。

 

空きができて座っても、

辛そうなお年寄りやお子様連れが入ってきたら、サッと立って譲りあう。

これが何度も繰り返され、椅子取りゲームならぬ、

 

椅子譲りゲームのようで、私など4.5回は立ったり座ったりを繰り返した。

 

 

院長先生、スタッフの方々が底抜けに明るいパワーを出しているので、

患者さんも影響を受けて痛くても辛くても何だか明るい。

 

一言で言うと「上機嫌」なの。

 

この時期、病院でしかも待合室で

 

「上機嫌」でいれるという2時間のレッスンか?と思ったほどでした。

 

この反対だってあり得ますよね?

痛くて辛くて待ち時間に不機嫌を垂れ流しもあり得る状況。

なんと良いエネルギーが循環しているんだろう、と

時計と睨めっこしながら「なんだか良い気分」を味わったのでした。

 

上機嫌でいるために「朝の一言」は私にとって大事な習慣。

 

今日は「行動」のために「行」のヘンとツクリ開けました!

温かくてゆったりしたエネルギーが私のまわりを流れていくように!

 

朝の「願掛け」とも言えますが、名前を書いて

「あぁ、今朝も起きれた!」

「さぁ、今日も私を生きよう」

などと良い気持ちで始めるのは幸せです。

 

今日は「自分の影響力」についてなんだけど、

ニーチェが言ってることは本当にそう思える。

 

名古屋嬢なら「上機嫌」という影響力をまき散らしたい。

間違っても「不機嫌」や「仏頂面」で自分の品位を落とさないように。

急いでいる時や、待ち時間には特に気を付けたいものです。