「私ってどうせスゴイのよ!」「私、最っ高よ!」この根拠なき自信があなたを救う!

「私ってどうせスゴイのよ!」「私、最っ高よ!」この根拠なき自信があなたを救う!

今日の一言はヘレン ケラー

 

 

私の小学生の頃の教室には

世界の偉人という伝記シリーズがあって

ヘレン ケラーを知りました。

『奇跡の人』として有名ですね。

彼女はポジティブシンキングを学んだのですが、

それは生きるため!

バーバラが「えびす文字」を書いているのは

自分を救うため!

両親の介護をしていると

スケジュールを組み立てるのも

 

ままならないことがある。

ポジティブだったら「乗り越えられる」わけじゃない。

どうにもならないことがある。

彼女は7冊ほど本を書いていますが、

その中から「彼女の住む世界」を紹介します。

「感覚にいくつか障害があったとしても、

多くの人々が考えるように、

道しるべもなく、

案内人もいない荒野に

追い出されたわけではありません」

(『私の住む世界』)

スミレの花弁のやわらかさ、

馬の鼻のビロードのようななめらかさ、

すり寄ってくる愛犬のぬくもり、

朝露にぬれた草の葉の冷たさ、

そのようなさまざまな感触が

ヘレンの世界を彩りのあるものに変え、

喜びを与えてくれました。

へレンが強調するのは、

触覚の驚くほどの豊かさです。

ヘレンは自分の手を昆虫の触角にたとえて、

私の手は外界を認識するための

「ものを見る手(seeing hands)」であり、

視覚と聴覚を合わせもつようなものだと言っています。

ヘレンは、私たちが人の顔を認識するように、

握手の手触りによって、

男女の別や年齢を探り当て、

個人が特定できるぐらいに、

はっきりとその人を記憶しました。 

ときには、握り方や勢いで、

その人の性格やその日の気分、

自分に対する感情までも

言い当てたと言います。

さらに、ヘレンの触覚は、

手で触れるものだけにはとどまらず、

木々のざわめきの微かな振動、

皮膚に感じる太陽の温かみ、

頬をなでる風のさわやかさにも及び、

野山を散歩しながら、

自然の営みを全身で感じるのが、

ヘレンの大きな楽しみの

ひとつとなりました。

13歳の年に、ヘレンは、

ヘラルド紙の記者から、

「(重い障害があるのに)なぜ、そんなに楽しそうでいられるのか」

とたずねられますが、

「私は神様の贈り物のうち二つを失っただけです。

その二つを除いていろいろな贈り物をいただいています。

そのうちの一番大きなものは“心”です」と答えています。


自分に限界を作らない。

 

それは思い込みであるとわかっていても

 

 

ついつい自己卑下して

「私なんか」とか「どうせ私は」

こんな人

という内心のつぶやき。

それをやめて

 

どうせ私はすごいのよ!

私なんか最っ高よ!

 

と、内心のつぶやきを即座に言い換える。

 

スーハーと深呼吸をしながら

心の中で仕切り直しをする。

 

 

自分で変えられない環境のなかで

「なんとか足掻いて頑張ってる!」

 

だから「私ってスゴイのよ!」

 

私の見ている世界と、両親の見ている世界は

全く違う。けれども重ならない世界を感じていながら

逃げないで「なんとかできる限りやってる!」

自分の時間を「捧げてあげている!」これ以上の

愛情はないと信じていいのだ。

 

上から目線だとお叱りも受けるだろう。

でもね、キレイごとで両親の介護なんかできない。

 

立派だった私を育ててくれた両親・・・

そういう幻想は現実を前にしたらぶっ飛んでいくもの。

 

だからなんだかんだと罪悪感をいだきながらも

「やり過ごす」「聞き流す」ができている

私は「素晴らしい!」「頑張り屋!」

「人の道踏み外していない!」

 

と自分を褒めて泣き笑いするしかないのよ!

自分の心を守れるのは自分だけ!

このことだけは肝に銘じておかなくちゃね!