何の御利益もない「阿弥陀経」書いてた私はバカだった!

何の御利益もない「阿弥陀経」書いてた私はバカだった!

何の御利益もない「阿弥陀経」書いた私はバカだった!

 

写経はもともと好きだった。

もう⒕5年ほど前は「阿弥陀経」を書いてばかりいました。

 

 

なぜ?

 

実家が浄土真宗で「般若心経」をあげないんです。

 

 

そんなことも知らずに、

結構長い「阿弥陀経」を自己満足のために

せっせと写経し続けてました。

 

 

婚家は「真言宗」で義母はいつも

 

 

「おたくら浄土真宗は新興宗教やろ?うちは違うねん」

 

 

と誇らしげに「真言」を唱えては

「あぁ、ええ気持ちや」とか言ってらした。

義母にバカにされていたとはいえ、

法事などであげられる

 

「真言」の「のうまくさんまんだー」が始めると

「何言っとるかわからんけど面白いなぁ」と

 

罰当たりなことを思ってました。

 

 

無知の怖さですね!

 

ともかく実家の浄土真宗の墓守ムスメですから

 

実家の月参りにはお仏壇を整えて

「般若心経」じゃないお経とチョットした法話で

「阿弥陀様」と「親鸞さま」のありがたいお話を聞いていました。

 

 

実家のお寺様は何と申しましょうか、

 

おハイソでポルシェやベンツに乗ってお経をあげに来る。

 

 

檀家様もお金持ちばかり、お布施も桁違い、

なんとなく「拝金主義」を感じていました。

 

ある時、落慶法要の呼ばれ、本堂で

「阿弥陀様」を見ている時に隣のご婦人が

 

 

 

「私は実家が臨済宗のお寺で、お東さんはキライなのよね!

あの阿弥陀様、見て御覧なさいよ、

阿弥陀様って釈迦の先輩なのよ。

仏教ならお釈迦様を据えとかなきゃ、

ホントあれみるとバカバカしいわ!」と

 

 

 

私に向かって吐き捨てられたのでした!

 

 

 

 

 

私は「はぁ、」と生返事をして、

頭の中で「そうだったの?阿弥陀様って先輩なの?」と

 

おもいながらも阿弥陀様に向かって

 

ヘッチャラで馬鹿々々しいと言い捨てた品のいい女性

 

 

のことを

「カッコイイ」と思ってしまったんです。

 

 

彼女、お経や法話の間もピシッと正座されて

ご住職様と目も合わせない

ご主人とも一言も口を利かない

ただひたすら空を見据えてるの。

今思えばスゴイ技と精神力です。

「私は義理でアンタの隣に座ってるだけ」という雰囲気を

全身からプンプンさせているのですが、

ともかく美人で品がいい。

 

鉄板の名古屋嬢そのものの立ち居振る舞い

 

しかも辛口そうだからご主人も「沈黙は金」とばかりに

お寺様にご挨拶してイベント終わったら

サッとお帰りになってしまいました。

 

私はといえば、「落慶法要」というイベントに際しての

壁中に貼られた「お布施」の金額をチェックしていただけ。

 

 

○○株式会社 代表取締役 山〇太郎、100万円、

 

 

とか墨書きされた紙が沢山貼られていたの。

 

ここに来てる人は

自分の出した金額が妥当だったか多すぎたのか?

それとも他の会社にまけてないか?

チェックしに来てるようなもの。

 

 

 

地獄の沙汰も金次第、というのは

昔はお医者さんで

難しい手術するときなんかにいったものだけど、

お寺様も金次第で自己満足できて

「お布施」の多寡でマウンティングできると知りましたわ。

 

 

まぁ、調べてみれば釈迦が悟りを開いたときに

 

 

阿弥陀様に会えた、「アァ有難や有難や」のお経らしい。

 

 

だからお釈迦様がありがたがってたのかしら?

 

私は「バカバカしい!」に驚愕したものだから、

写経は殆ど「般若心経」なのはわけがあるんだな。と、

うすぼんやりと思った程度でした。

 

その後、

 

 

阿弥陀経を書かなくなったのは自然の成り行き。

 

 

そして「写経」はともかく好きだということで

市販の写経用紙を使うようになってからは

 

 

「般若心経」一辺倒。

 

いまは

 

「阿弥陀経に無駄な時間を費やして私ってバカだった!」

 

と芯からおもってます。

 

だって「真言=マントラ」がない「お経」

いくら書いたって「宇宙」には届かないもの。

 

 

 

真言=マントラはお釈迦様の言葉でも教えでもなんでもない。

ただ「おまじない」としての呪文。

 

オブラディ・オブラダとか、

クイーンのガリレオガリレオフィガロガリレオみたいなものなの。

 

 

音・波動・呼吸・漢字のすべてが調和して

「宇宙」に向かってモールス信号を打つ言葉。

 

 

この「真言」のことを知らずにいた8年間を返せーっ!

 

 

いつも書くことに引きこもって、

逃げ回っていたみじめな私が真言を書くようになって

 

「ツイテル」かも?が重なってきたのは偶然ではありません。

 

 

*ツイテル事件はまた別に書きますね!

 

私にとっては安全地帯としての写経の時間でしたが、

般若心経マニアといえる方々にあうと

「年齢マイナス10歳」な感じです。

 

アンチエイジング効果あるのか?という眉唾ですが、

見た目がお若い。

これはハッキリ言ってどうしようもない事実。

私も自分で追及していきたいと思っています。